よろず評論サークル「みちみち」

●カメラ小僧の裏話 最終巻 ののさん追悼本 今回を以てサークル活動を休止します(全文無料公開)

『カメラ小僧の裏話 最終巻 ののさん追悼本 今回を以てサークル活動を休止します』表紙

下記の文章は、2018年12月31日、コミックマーケット95で発表した『カメラ小僧の裏話 最終巻 ののさん追悼本 今回を以てサークル活動を休止します』の全文です。

■訃報のお知らせ

 当サークルの主要メンバーであるのの(@nono_poo)が、平成30年10月14日午後11時頃に、高血圧性脳幹部出血により47歳を以て永眠致しました。生前ののさんの作品を多くの方々にご愛読いただき、誠にありがとうございました。故人に代わりまして御礼申し上げます。

■突然の訃報でした(はじめに)

 この度は『カメラ小僧の裏話 最終巻 ののさん追悼本 今回を以てサークル活動を休止します』をお手に取っていただきありがとうございます。タイトルの通り、今回の冬コミでよろず評論サークル「みちみち」の活動を休止し、本書がサークルで発行する最後の本となります。
 かねてからお伝えしています通り、10月にののさんは旅立っていきました。亡くなる一週間前もいつも通りのサークルの編集会議を行い、いつも通りのバカ話で盛り上がっていたところでした。本当に何の前触れもなく突然いなくなってしまい、しばらく現実を受け入れることができませんでした。正直、訃報を聞いてから一週間ほどは茫然としてしまい、仕事が手に付かなかった程です。改めて、筆者にとってあの人の存在は大きかったのだなと感じずにはいられません。
 今回の冬コミはののさんがレンズレビュー本第3巻を発行する予定でした。一時はそれすらも発行できるか分からない状況でしたが、周囲からのご協力もあり、何とかののさんの遺稿を借り受け、みちろうが執筆代行をする形で完成・発表することができました。
 そして、改めてサークルのこと、今後のことを考えるにあたり、今回みちろうも『カメラ小僧の裏話・最終巻』としてののさんとの思い出を振り返る追悼文を書き、それを以てサークル活動を休止することにしました。本書は自分自身の心の整理、またののさんが書いていた本やその構想について、いくつか読者の皆様にお伝えしておきたいこと、そしてサークルとしてのお知らせと、活動休止にあたってのちょっとだけ長いご挨拶を中心とした内容です。
 多少ののさんとの昔話なども織り交ぜながら、ののさんが日頃話していた内容や、ののさんの持っていた考え、本を通して伝えたかったことなどを文章にすることで、筆者としての追悼としたいと思います。本書をお読みいただくことで、時折ののさんのことを思い出していただけたら幸いです。

2018年12月31日 コミックマーケット95にて
みちろう

■目次

突然の訃報でした(はじめに)
目次
Chapter.1 ののさんとの出会い
Chapter.2 その節は大変お世話になりました
Chapter.3 おバカなサークル活動の10年間
Chapter.4 『写真機用レンズを「独断」と「偏見」に基づいて語る本』のこと
Chapter.5 『撮影技術の基礎知識・完全版』のこと
Chapter.6 サークル活動の今後について
活動休止にあたって(おわりに)
奥付

■Chapter.1 ののさんとの出会い

□きっかけは15年前のキャンフルメイド撮影会
 本書はののさん追悼本である。正直に言って、今回は売上を期待するものではなく、個人的なことを筆者自身のエゴで書いていく。一般の読者には前半部が一個人の日記のような文章に見えるかもしれないが、どうかご了承いただきたい。
 ののさんと最初に出会ったのは、今から15年前の2003年5月に開催された、キャンディフルーツ撮影会「ドリームシューティング」だ。メイド服を製作・販売するメーカーであるキャンディフルーツの小野社長の「メイド服を購入される女性のお客様だけをお相手するのでなく、男性の方にも何かしらのサービスを提供したい」という思いから、このメイド撮影会が企画された。現在も「キャンディフルーツフォトクラブ」というかたちで継続しているが、その第一回となる歴史的な撮影会である。
 筆者もこの頃は大学生で、まだモデル撮影会というものを知らなかった。そもそもデジカメすら持っていなかったのである。コンパクトフィルムカメラがあれば何とかなるだろと若さ故のノリと勢いで申し込んだことを覚えている。
 時代はまだデジカメが普及しはじめた時期で、参加したカメラマンのうちデジタルとフィルムの比率が半々といった感じだった。そんな中で、一際異様な佇まいをしていたのがののさんである。一人だけ中判カメラのMamiya RZ67にペンタプリズムとハンドグリップを装着して、手持ちするもあまりの重さからぷるぷる手ブレしながらメイドさんのうなじを撮り続けていた。初対面のときは変わった人だなという印象を持ったものである。
 その後、キャンフル撮影会やIIAJ撮影会などで何度かお会いするうちにお互い同郷ということを知り、一回り分年の差はあったものの、同じ写真を趣味とするカメラ仲間として、撮影会を通じて交流するようになっていったのである。
□撮影会でのニックネームは何故か「悪の総帥」
 撮影会の中でのののさんは、気が付けば場のイニシアチブを握っている不思議な人だった。デジカメから写真を始めたカメラマンなどは、よくモデルと相対してもどう撮ってよいのか分からず迷ってしまう場合が多かったのだが、そんなときにも後ろからスッと出てきて、シチュエーションとポーズをモデルに説明し「ほら、みんなが撮りたかったイメージってこんな感じでしょう?」と提案してみせることが多かった。
 また、撮影会というものはカメラがないと始まらないのだが、ののさんは最新のカメラとレンズを持ってきたりすることもあれば、度々誰も知らないようなマニアックなカメラを持ってくることもあった。エプソンのRD−1であったり、タチハラの大判カメラであったり、珍しくキヤノンを持ってきたかと思えばT90だったり。とにかく異様に知識が豊富で、誰も見たこともないような機材を持ってきて、いつの間にか場を仕切っている得体の知れない怪しいおっさんだったのである。
 撮影会の中では誰かが呼び始めたのか「悪の総帥」というあだ名が付き、ののさん自身も面白がって「そーすい」をカメコネームとしてしばらく自称したりもしていた。
□撮影会の仲間として、コミケの戦友として
 2003年当時の感覚として、撮影会に参加するカメラマン層とコミックマーケットの参加者層は、厳密に言えば少し異なる集団だった。フィルムから続けている撮影会カメラマンはあまりコミケと縁がなく、逆にコミケ参加者がみなデジカメに詳しくコスプレを撮影している訳でもなかったのである。
 そのなかでもののさんは双方に跨がって造詣の深い極めて特殊な人だった。キャンディフルーツが初めて撮影会を企画したその場にいるかと思えば、コミケでも常に最前線で大手サークルに買い物に行き、戦利品を大量に持ち帰るような猛者だったのである。筆者も濃いオタクを自負していたものの、お話を聞いてみればコミケで使う金額はケタ違いで、しかも幕張時代から通っているとのことで、この人はカメラだけでなくこっち方面でも相当マニアックな人だったのだなと驚愕したものだった。
 そのうち撮影会だけでなくコミケでも共に行動するようになった。撮影会のモデルさんが企業ブースなどでコスプレコンパニオンをしているところに挨拶や差し入れを持っていったり、コスプレ写真集を出しているモデルさんのところに買いに行ったりしていたのである。そこでコスプレ写真集というジャンルを詳しく知るところとなり、コスプレ写真集の持つ表現の課題や問題点を共有するようになっていった。それがその後のコミケで評論同人誌を出す流れに繋がっていったのである。
 あれから15年。歳は離れてたが、気が付けば深い付き合いになっていた。最初のきっかけこそメイド撮影会だったが、筆者にとっては非常に意味のある出会いだったのである。

■Chapter.2 その節は大変お世話になりました

□ののさんは写真の師匠でした
 筆者が撮影会に参加し始めた頃は、率直に言って写真が趣味というよりはメイドさんやモデルのお姉さんと交流したいという気持ちの方が大きく、撮影技術に関しては初心者もいいところだった。撮影会の遊びを通して独学で学んでいった部分はもちろんあるのだが、今振り返って考えてみるとカメラや写真の知識や技術についてはののさんから教わった部分も大きかった。ののさんは写真の師匠でもあったのである。
 まだ筆者が撮影会でPowerShot G3を使っていた頃、マクロモードで頑張って背景をぼかしながらポートレートを撮っていたところ、ののさんが後ろから来て「そんなに背景をぼかしたいなら、僕の持ってる一眼レフ一式貸そうか?」と話しかけてきた。最初冗談かと思っていたら、次の撮影会で本当にニコンの一眼レフカメラと広角、標準、望遠レンズ一式カメラバッグごと、勉強に必要だろうからと気前良く貸してくれたのである。
 夢みたいな話だったが、本当にそこから一年間ほど借りっ放しでそれらを撮影会で使わせていただきながら写真の勉強をしていった。ののさんからは撮影会の度に焦点距離や絞り値の意味、撮影対象ごとの最適なレンズ選びについていろいろ教えていただいた。実際に各領域の単焦点レンズを使いながらのレクチャーはとても分かりやすく、それは筆者の現在の写真知識のベースとして役立っている。
 そしてデジタル一眼レフを買う決心をしたときにも、各メーカーの特徴やお薦めのレンズについて親身にアドバイスを頂いた。ののさんはニコン派だったが、何故かキヤノンについても型番ごとの細かい描写特性まで熟知しており、その豊富な情報量は若干不気味なほどであった。その割には最終的に面白いからと言って強く薦めてきたのはオリンパスE−1だったりするのだが。
 筆者は悩みに悩み抜いて最終的にキヤノンを選んだ。Lレンズが使いたかったからだ。2004年にののさんから頂いた教科書のような長文解説メール、当時カメラを選ぶ上で判断の指針となりとても役立ったのを覚えている。今見返すと、これが『撮影技術の基礎知識』のベースになっているのかな。昔のやり取りを思い出すと、またちょっと泣けてきてしまう。
□ののさんはデザインの先生でした
 筆者の大学での専攻は3DCGであり、特にゲームのようなリアルタイム演算処理をする研究を行っていた。筆者もののさんと知り合ってまもなく大学4年生となり、卒業研究では3DCGの被写界深度表現をリアルタイムに演算する手法などの研究を行っていた。技術的なことを話すと、ののさんも大学時代にインターネットの研究を行っており、3DCGも少しはかじっていたとのことで、この人は本当にあちこちの分野に手を出す人なんだと驚かされたのを覚えている。
 特にその時やっていたCGでボケ表現を再現することは、3DCGプログラミングの知識と、写真の光学技術の知識が両方とも必要になり、大学内でもなかなか技術的な話を共有できる人がおらず、度々ののさんにも話を聞いてもらっていた。これは余談だが、学割価格でも3Dモデリングソフトが高いとぼやいていたら、勉強に必要だろうとXSI Foundationをポンとくれたこともある。
 また3DCGだけでなく、ののさんは印刷製本分野の知識も豊富で、エディトリアルデザインや写真原稿のCMYK4色分解についても詳しかった。Photoshopは通常のフォトレタッチ技法だけでなく、印刷原稿としてのカラーマネジメントまで熟知していたのである。これについては筆者もののさん宅でPhotoshop合宿を行ったり、JGAS(日本総合印刷機材展)に連れて行ってもらったりして徹底的に知識を叩き込まれた。Illustratorも同様に使いこなしており、当サークルの同人誌程度なら誌面デザインやDTP作業もすることができた。特に写真集の誌面デザインには一家言あったらしく、筆者もよく「これを勉強しておけ、あれを勉強しておけ」とアドバイスを頂いた。お陰で今は筆者も撮影から誌面デザイン、印刷原稿の入稿まで全部一人でこなせる技術と知識が身に付いたのである。
 一番教わったのは勉強法である。デザインに関しては写真のようなレクチャーではなく、この分野の必読書のタイトル一覧を渡されるだけであった。とにかく本を読み、自分で検証して、トライアンドエラーを積み重ねろ。そして良いデザインを見つけたら、全ての寸法を定規で測ってメモをしておけ、ということを繰り返し教わった。
 今考えるとののさんは本当にカメラマンだったのだろうかと思うくらい、あらゆる分野の知識が豊富な先生だったのである。
□ののさんはみちろうにとってのメンターでした
 ののさんは写真やデザインに関しての恩師ということ以上に、筆者にとっては人生相談をする相手でもあった。悩んでいたときは様々な相談に乗ってもらっていたのである。カメラ小僧の裏話第5巻やカメラ小僧の裏話クロニクルにも散々書いてきたが、20代の頃筆者は仕事や人間関係に思い悩み、鬱病を患っていた。撮影会仲間という同じ趣味の仲間であり、一回り上の世代で、直接的な交友関係から離れた位置にいるののさんという存在は、とても悩みを話しやすかったのである。
 鬱病では常に悪い方に考え、視野狭窄になり、認知が歪む。そんなときにののさんは「それはつまり、こういうことじゃないかな?」と、ちょっと立ち止まって自分自身を客観視する道標を示して頂いたこともあった。筆者にとってののさんは、直接の指導者ではなく、脇に立ってコーチングをしてくれた訳でもないが、時折やってきて話を聞き、そっと助言を残していくメンターのような存在だったのである。
 ののさんは誰に対してもそうだったとは思うのだが、相談事には親身に耳を傾け、的確な状況判断や解決方法を示してくれた。上手くは言えないが、ののさんは何故かそのような判断事がこの上なく正確で、鋭い先見の明があったのである。将来の見通しに関して「今後こういうものが流行るだろう」といったポジティブな予測を外すことはあっても「対策しないとこういう事態になる」といったネガティブな予測を外すことは絶対に無かった。その意味では非常に信頼感があり、筆者もののさんの助言により、進路に関して大幅な修正をする決断をしたこともある。
 前回のクロニクル本と内容が重なる部分でもあるのだが、筆者が同人活動を始めたときもののさんは親身に応援してくれた。鬱病から病み上がりのタイミングで、何かをやり始めるには丁度いい負荷で、挑戦と失敗を積み重ねる場として良い機会だと捉えていたらしい。筆者にとっては趣味の自己表現だったが、ののさんの視点ではみちろう君の治療回復と成長する場に見えていたのかもしれない。
 それから10年、筆者は鬱病を再発することもなく、現在は結婚し子宝にも恵まれている。すべてがののさんのお陰という訳ではないだろうが、サークル活動を通していろいろな挑戦をし、自己肯定感を膨らませていった結果ではないかと考えている。サークル活動において「そこにののさんがいる」という安心感は、筆者が新たな挑戦をするにあたって、何者にも変え難い重要な要素だった。ののさんは本当にそのような存在だったのである。

■Chapter.3 おバカなサークル活動の10年間

□10年続いた『カメラ小僧の裏話』シリーズ
 ののさんとは二人三脚で本を出してきた。基本的にはみちろうが言い出しっぺで、ののさんがその監修を行うような立場だった。みちろうがテーマを考え、文章を書き、ののさんがその査読や編集、誌面デザインを行うという役割分担で、気が付けば10年が経っていたのである。
 当サークルの看板シリーズである『カメラ小僧の裏話』も、それまでに撮影会やコスプレイベントで見聞きしてきたドロドロ話を暴露するというコンセプトだったが、まさか12巻も出し続ける長期作品になるとはサークル当初微塵も思っていなかった。筆者とののさんの役割分担が上手く機能し、サークルとして毎回新刊を出し続けるというサイクルが定着していった結果でもある。
 基本的に夏コミはかなり本格的に調べ物をし、あちこち関係者に取材をして情報を集めたりして評論に重きを置いたものを書き、冬コミでは短期間で書き上げられるような暴露話、個人的なエッセイのようなものを書いていった。毎週少しずつ調査結果をまとめてプロットや原稿を書き、毎週ののさんと会ってはファミレスで編集会議を開催しブレインストーミングを行っていた。一度24時間営業のお店で編集会議をしたら延々と議論が終わらず、気が付けば18時間経過していたなんてこともあり、それ以来0時閉店のお店で議論を区切るようになった。筆者が結婚するまでそれをずっと毎週行っていたのである。
 振り返ってみれば、ののさんとの編集会議は本当に濃い時間だった。書いている同人誌のテーマに限らず、最新のカメラの話、レンズの蘊蓄の話、写真論、撮影会の人間関係や知り合いのコスプレイヤーさんのドロドロ話、TRPGの話、人心掌握のコミュニケーション論、男女論や恋愛の話、お金の話や経営学の話、喧嘩の勝ち方、動画撮影やピュアオーディオの世界、果ては政治や宗教、哲学の話など、前述の通りあらゆる分野で博識な人だったので、ありとあらゆる話をした。ののさんはとにかく話し好きで、延々と何時間も話す。人によってはそれが苦手でののさんとの長時間の会話(あるいは長時間の電話)を嫌う人もいたのだが、筆者はそれを全然苦痛には感じず、むしろ時折反論や深堀りをしたりして、ののさんに議論で戦いを挑んでいた。今思えばお互い本当に波長が合っていたのだと思う。カメラ小僧の裏話はそうした議論の蓄積と結晶によるものだったのである。
 筆者はサークルを始めると同時にカメラ小僧を実質引退してしまったため、長く続く過程でカメラ小僧ネタの貯金も枯渇し、近年はテーマの切り込み方に苦労することも多かった。サークル活動前半4年間の振り返りや、各巻のいきさつについては前巻のクロニクル本で詳細に書いたので割愛するが、実のところ筆者としては12というキリの良い数字に拘り、第12巻でシリーズを完結させるつもりだったのである。第12巻を出した後の編集会議では度々ののさんから「せっかく13という縁起の悪い数字なのだから、縁起の悪いテーマで本を書こうよ〜」と急かされてはいたのだが…。
□女装コスプレも、売れない剣乃追悼本も、止めなかったののさん
 基本的にののさんは、みちろうの言い出したことを止めなかった。女装コスプレしたいと言い出したり、とても売れそうもないゲーム作家の追悼本を書きたいと言い出したときも「いいんじゃない?やってみるといいよ」と言う人だった。
 女装コスプレの際はただ一つ「なんのためにやるのか、どこをゴールとするのか」だけをののさんはチェックしていたように思う。特定の友人たちからの好評価を過大にイメージしているならやめた方が良い、君は「こんなはずじゃなかった」という後悔をすることになる、だが周囲の評価は関係なく、自分がやりたいだけであれば盛大にやれ、大失敗しても骨は拾ってやると一度言われた事はあった。この言葉には今も感謝している。
 女装コスプレは良い意味でも悪い意味でも大成功した。筆者自身もしばらくハマってしまい、数年間は女装コスプレして売り子をしていたのだが、ののさんは苦笑しながらも受け入れてくれていたように思う。ずっと苦笑はしていたが。
 剣乃ゆきひろ追悼本に関して、ののさんは90年代後半のエロゲ世代ではなかったためか、企画当初「剣乃ゆきひろ」の名前にあまりピンときていなかった。言ってしまえば「あんなものが面白いのか?」という反応だったのである。だが、みちろうの作家を熱く熱く語る姿勢を見て「その火傷しそうな熱量が本になるなら、絶対面白くなる」と売れないことを見越しながらも書くことに賛成してくれた。
 執筆を始めてみると、ののさんからは何度も何度もボツ出しをくらった。筆者自身内容を上手くまとめきれていないことは分かっていたが、それ以上に「もっと熱く書け!もっともっと熱い思いをぶつけろ!煽れ煽れ!」と急き立てられた。ここまで暑苦しい文章にしていいのかなと思う程でようやくOKが出たのである。
 剣乃ゆきひろ追悼本は難産だった本の一つだ。各部の見出し一つにしても、ここで伝えるべき言葉はこれじゃない、と編集会議で何時間も議論して絞り出した。第三部の「剣乃」なんてどこにもいなかったんだ…という文言が出たとき、二人顔を合わせて「これだ!」と破顔したのも懐かしい思い出である。締切直前で明け方のファミレスだったけど。
□ののさんのいないサークル活動なんて…
 今までみちろうが考えた企画や書いた文章は、すべてののさんに見せていた。ギリギリを攻めているつもりが本当にやっていいことなのか、煽り過ぎてモラルが逸脱してはいないか、失敗しても収拾がつく範囲のことなのか、そのような部分をののさんにチェックしてもらっていたのである。
 ときにはNGが出ることもあった。単純に内容がつまらないこともあれば、ビビり過ぎて攻めが足りないこともあり、そしてこれを表に出してはいけないという危険回避の判断もあった。そのような判断に関しては筆者も全面的に信頼しており、ののさんがダメだと言えば素直に従い、ののさんがOKを出したものは安心してぶっ飛んだ文章を書いていた。その判断が正しかったからこそ、ギリギリを攻める文章で10年続けてこれたのだと思う。
 だが、もうののさんはいない。残念ながらもうチェックしてくれる人はいないのである。毎週の濃くて楽しかった編集会議も、もう二度とすることができない。筆者にとってののさんは本当に大きい存在であったし、ののさんのいないサークル活動など到底考えられないのである。
 前巻『カメラ小僧の裏話クロニクル1』は既刊の補足追記、後日談、サークル活動の振り返りの文章だった。書いていくうちに要所要所でののさんの判断や行動がいかに重要であり、スゴいことであったかを筆者自身目の当たりにしたのである。その後書きではいずれクロニクル2も出す予定だということをアナウンスしていたのだが、どうやらそれが日の目を見ることは無さそうだ。書けばきっとののさんとの思い出話が中心となり、涙が止まらなくなってしまう。大変申し訳ないが『カメラ小僧の裏話クロニクル2』は、企画自体をお蔵入りとさせて欲しい。

■Chapter.4 『写真機用レンズを「独断」と「偏見」に基づいて語る本』のこと

□ののさんがレンズレビュー本を書くことになったきっかけ
 もともとののさんはレンズ沼の住人だった。いつであったか、いくつレンズを持っているのか興味本位でののさんに聞いたことがある。その回答は「数えられるうちはコレクターとは言わないのだよ」だった。
 では50mmのレンズは憶えている範囲でいくつ持っているのかを聞いたところ、視線を宙に泳がせながら「…9…10…11個かな、…いや12個、13個だった。あ、もう1個あった。もっとあるかも」という始末。
 ののさんからはいつもレンズの構成図や描写特性についての話を聞かされていたので、ではその蘊蓄を本にしましょうよ、持ってる50mmレンズの作例写真を並べてののさんの怪しいレンズレビュー本を出しましょうよ、という提案をした。ただのレンズの自慢。それがこの企画の出発点である。
 その話が出た頃は平行して『撮影技術の基礎知識』のシリーズをずっと書いていた。ののさんは常々いつかこのシリーズを加筆修正して総集編を出したい、巻頭カラーの作例写真ページも付けて、完全版として出したいと話していたのである。
 そこで障害となっていたのはフルカラー同人誌の色味の問題だ。同人印刷では色校のプロセスがなく、一発勝負で本が完成する。安価で納期も短いのだが、写真表現にとって生命線である色味の確認ができないのである。
 もし利用する同人印刷会社の紙質とインクの印刷特性に合わせたICCカラープロファイルを準備しカラーマネジメントができれば、その会社の印刷で表現できる色域を最大限活用したフルカラー同人誌を安価に作ることができる。ののさんはそれをなんとかして実現できないかを試行錯誤していた。
 基本的に同人誌専門の印刷会社では自社の特性に合わせたICCカラープロファイルを公開していない。公開したところで利用者の間違った運用で印刷事故が起りやすいという事情もあるのだろう。ICCカラープロファイルをこちらで自作するには、利用する印刷会社で何度かカラーチャートを製版し色校を出してもらわなければならないが、それにはとてもお金が掛かる。安価に作るはずがそれでは本末転倒だ。
 そこでレンズレビュー本である。フルカラーでどうでもいい内容の本を何冊か出してカラーチャートページを作り、それを色校代わりにしてしまえばいいと考えたのである。という訳で、ののさんにとってレンズレビュー本は「どうでもいい」という位置付けの本だった。まぁ、その割にはマニアックで濃い内容だとは思うのだが。
□レンズレビュー本はオールドレンズ愛好家へのアンチテーゼだった
 ののさんは本当に大量のレンズを所有しており、レンジファインダー用のライカマウントレンズも網羅していた。2004年にエプソンからRD−1が出たときも真っ先に購入し、いろいろなレンズを取り付けて撮影を楽しむような人だった。ミラーレス時代になり、ソニーからα7Rが登場すると水を得た魚のように様々な種類のマウントアダプタをあちこちから買い揃え、全てのレンズを同じカメラで描写比較してやると豪語していたのである。
 元々は50mmレンズレビューという企画であり、念頭にあったのはののさんが以前から所有していた1977年製AI Noct NIKKOR 58mm F1.2と新製品のAF-S NIKKOR 58mm f/1.4Gの「新旧ノクトニッコール対決」という案だった。
 だが、実際に取り上げるレンズを選定するにあたり、ののさんはそんな「私はこんな幻の激レアなレンズを所有しているんだぜ〜」というような自慢だけの本は作りたくないと言い出したのである。幻の激レアレンズだからこのような写り方になる、という言い方ではなく、このレンズ構成だからこのような写り方になるという読者に役立つ解説書としたいとのことだった。だからこそレンズレビュー本では一貫して「現行品もしくは中古で手に入りやすいもの」という基準でレンズを取り上げている。読者のレンズ選びのヒントにして欲しいとも語っていた。
 また世間に蔓延っている「プラナーの描写は良い」という流言は妄想であり、そもそもプラナーという名称は現在定義が曖昧となっていて、ダブルガウス型のレンズ構成名として機能しておらず、作例写真を載せながらその間違いを解説していきたいとも考えていたようである。
 このように、レンズレビュー本は企画の大元が「どうでもいい本」ではあったが、オールドレンズ愛好家に対して「描写特性は古いかどうかではなくレンズ構成によって変わるのだ」というアンチテーゼを示すものでもあったのである。
□「あの人が生きていたら、きっとこれを最優先で指示したはず」
 ののさんの訃報を聞いて友人たちと弔問に訪れた後、さて、レンズレビュー本のことはどうしたらよいかということが筆者の頭をよぎった。周囲からも次の冬コミはどうするかを聞かれたが、筆者自身どうしたらよいのか決められなかったのである。
 夏コミの締切直前に落とす決断をしたのだから、完成に近い状態の原稿データは存在するはず。筆者としてもののさんが出そうとしていたレンズレビュー本第3巻を出したい。最期の作品として出してあげたいという気持ちはある。だが一回りも年下の友人の立場から、ご遺族にパソコンの中身を見せて欲しいとはとても言い出せなかった。また、ののさんは職場や自宅のどのパソコンで同人誌の作業しているのかも分からなかった。原稿データが職場のパソコンの中にあれば筆者はお手上げである。
 そんな話を周囲にしていたところ、そのようなものがパソコンに眠っているのなら発掘してなんとかして形にしよう、同人誌を完成させようという話が持ち上がり、ののさんの同世代のご友人の方たちを中心に動き始めた。
 ご遺族にご了承を得た上で、友人たちでののさんの自宅の遺品整理を数日間掛けて行い、いくつかのカメラとパソコンのデータを確認させていただいた。しばらく原稿データの発掘に時間がかかったものの、無事最新とおぼしき7割ほど完成した原稿が見つかったのである。
 予想通り、取り上げるレンズの選定や作例写真の撮影は完了しており、解説の文章は未完だったものの、プロットがある程度書かれている状態のものだった。少し補完に苦労はするだろうが、これならみちろうが執筆を代行する形で完成させることができると判断しうるものだったのである。
 この過程には、ののさんと同世代の古いご友人の方々の全面的なご協力とご尽力があった。原稿データの借り受けは彼らがご遺族や職場と調整していただいたことにより実現したことである。また遺品整理の際は、部屋の清掃や片付けもそこそこに同人活動に使用していたと思われるノートパソコンの発見を最優先で動いていただいた。筆者は、ご友人の方々がそこまで最優先で動いていただけることに少し不思議だったのだが、あるときご友人の一人が「仮にあの人が今も生きていて、身体の自由は利かないけれども指示だけ出せる状態だったとしたら、仕事のことなんかよりもきっとこれを最優先で指示出したはずだからなぁ」と話していて、ああ、なるほど、ののさんらしいやと思ったものである。
□第3巻の執筆代行で垣間見た、ののさんの思考回路
 幸い同人活動の作業データはののさんが持ち歩いていたノートパソコンの中にすべて揃っており、そのデータを借り受けて筆者側での作業が始まった。基本的には編集中のIllustratorのファイルに手を加え、プロットや覚書などのテキストを元に規定の文字数の文章に整形していった。幸い作例写真の撮影も掲載する写真の選定も完了していたようなので、後はプロットを元にののさんの伝えたかったであろうことをみちろうが代弁して書くだけであった。本当はののさんの考えを代弁しようなど、おこがましいのではないかと感じることもある。大変恐縮ではあったが、今回は泥縄で勉強し解説文を書かせていただいた。
 覚書を読む限り、ののさんもレンズを厳選することに大分苦労していたようである。第2巻50mm域であれば 等も掲載候補に挙げていたようである。また、第2巻の後書きにある50mm域で紹介したい残りのレンズ5つは、マニアック編として というメモ書きも残っていた。これらを掲載した第4巻は空想するしかない。
 もう一つ、レンズレビュー本の本来の目的であったカラーマネジメントとICCカラープロファイルの自作に関しては、制作途中のIllustratorのファイルを見る限り、途中まで進んでいたようだ。第1巻では作例写真データに埋め込まれたカラープロファイルは通常の「Japan Color 2001 Coated」ではなく「カスタムインキ,15%,GCR,中」とよく分からない名前になっており、第2巻では「くりえい社_カスタムインキ,15%,GCR,中」となっていた。だが、第2巻のカラープロファイル設定では上手く印刷に反映されず、大幅に色がずれたかたちで製本されてしまった。ののさんは画像ファイルそのものの入稿ではなく、Illustratorファイルから画像をリンクして配置した場合、元画像のカラープロファイルが読み込まれない現象が起こることが判明したから、これを解決しなければと以前話していた。
 このあたりの印刷原稿の色の作り込みについてはののさんの専売特許の作業であり、正直筆者には手に負えなかった。第3巻の作り掛けの原稿ではAdobeRGBの作例写真を配置してあったが、これをどうするつもりだったのか分からず、筆者には時間も知識もなかったため、通常の「Japan Color 2001 Coated」でCMYK分解して入稿してある。これにより色域が既刊より若干狭まっているかもしれないが、どうかご了承いただきたい。ICCカラープロファイルを自作して入稿するのは荷が重過ぎました。

■Chapter.5 『撮影技術の基礎知識・完全版』のこと

□ののさんの集大成となるはずだった「撮影技術の基礎知識・完全版」
 レンズレビュー本と並び、もう一つののさんの代表作なのが「撮影技術の基礎知識」である。こちらは完成するのにシリーズ合計で3年半の時間を要した。ののさん自身文章を書くのが苦手だとも話していたが、ののさんの頭の中にある写真論体系を理論に落とし込み、言語化することがとても骨の折れる作業だったのである。
 本文にも書かれてあるが、ののさんがフィルム時代に先人から学び、身に付けてきた写真に対する考え方や概念は、デジタル時代に切り替わるにつれて急速に失われていった。ののさんはその考え方や概念が消滅し、世の写真表現レベルが落ちる事をすごく危惧しており、これらを活字に残す事に並々ならぬ情熱を抱いていたのである。
 しかし、ののさんも大変多忙を極める方で、思考をまとめ文章にする落ち着いた時間の確保が本当に大変だったようだ。締切までに急いで原稿を書ききるのが精一杯で、毎回ほとんど初稿に近いまま本になっていた。それがいつも歯痒かったようで、いつか大幅に加筆修正して、完全版として一冊にまとめたいと話していたのである。
 このシリーズでは色に関する解説を避けて通れない。そのため完全版は巻頭カラーページを作り、色の図解や作例写真はフルカラーで掲載したいとも言っていた。三部作まとめて100ページ超の変則フルカラー同人誌。作れば価格は2,000円になるだろう。だがののさんは「全然売れなくてもいい。こればっかりはお金をかけてでもやりたい。自分の知識体系の集大成として、コレクションとして採算度外視で作る」と宣言していた。それが叶わぬ夢となってしまったことは、本当に無念だったと思う。
 筆者としてのせめてもの報いとして、ののさんがどのようなものを作るつもりだったか、どの部分を加筆修正するつもりだったのか、筆者が聞いていた範囲、分かる範囲で可能な限り書き出してみることにする。
□コンセプトは「撮影から鑑賞まで、必要な基礎知識をすべて解説する」
 まずはVol.1について。作図理論(構図)と被写界深度やピントの話である。ここについて大幅な加筆修正ポイントはない。元々ののさんが人に写真を教える際に使用していた教材プリントがあり、それをベースに理論を構築していた。
 書き加えるとしたら撮影の前段の部分である。この本を書く事になった直接のきっかけは『カメラ小僧の裏話7コスプレ撮影者が綺麗に撮れない理由』で初心者に対し、腕を磨く上での心構えや考え方を書いた事だ。実はVol.1は『カメラ小僧の裏話7』から地続きとなっている。心構えを持った上で撮影を組み立てるという訳である。
 また生前ののさんは「撮影から鑑賞まで」を解説すると語っていた。撮影の最終的な到達点は、鑑賞者に対し写真を通して何かを伝えること、伝えたいことが正しく伝わることである。そのために何を表現したいのか、まず目的とする主題(コンセプト)を明確にすることが必要だ。そして撮影から鑑賞までの全プロセスにおいて、その主題を伝えるために何をしなければならないか、どうすれば効果的に演出できるのかを考え、今やっていることがコンセプトと合致しているか常に確認しながら作業すること(コンセプトワーク)が必要である。撮影を始める前の部分に、そのようなコンセプトとコンセプトワークの解説を加える予定だった。
□写真とは光画、光と「陰」を用いた絵画であるということ
 Vol.2は露出とライティングの章である。ののさんは「他に良書があるのなら、その本の紹介だけして解説はそちらに振る」というズボラシステムを採用していた。ライティングの解説で書くべきことはほとんど「玉ちゃんのライティング話」にあったため、ページを質感描写と露出に割いていた。
 まず修正する予定だった点として「陰影」の言葉遣いである。急いで書いていたため単語の使い方が曖昧だった。Vol.2で使用していた「影」という言葉は物体自身の光が当たらない暗い面「陰 Shade」のことを指しており、物体が光を遮ることで地面や壁に映るシルエット「影 shadow」とは区別するべきであったのである。
 アンセル=アダムスのゾーンシステムはモノクロ写真における理論だが、ののさんはそれをカラー写真に応用するため理論の拡張を試みていた。本当はもっと時間をかけて検証しながら理論を構築していきたかった部分である。質感描写とゾーンシステムは3DCGにおけるシェーディング(オブジェクトへの陰付け処理)の概念に似ている。解説を分かりやすくするために、筆者は3DCGのシェーディングや、二次元イラストの陰付け処理などの例を出すことを進言したこともあった。
 また、ののさんのパソコンに入っていた完全版を書く上での覚書を読む限りでは、ライティングの項目において「一般的なイメージと異なり、光源は広ければ広い程、近づけば近づく程柔らかくなる」ことや「フィルライトと各種光源のバランスにより全体のバランスを構築する」ことなどを加筆する予定だったようだ。
□Vol.3を書いた後に4K8K動画の色規格策定で動きがあった
 ののさんが一番加筆したがっていたのはVol.3である。後から「これを書くのを忘れていた〜」と悔しがっていたのはAdobeRGBに対応させるための各バージョンのWindowsでの設定方法である。筆者は詳細を聞き損じてしまったが、Vista以前、7~8.1間、現在の10ではそれぞれカラーマネジメントの方法が異なる。特にWindows 10はブラックボックス化していて設定方法が一番面倒だとののさんは話していた。AdobeRGBを前提としたPhotoshopの設定にも補足が必要である。メニューの編集からカラー設定に移動し、作業用スペースのRGBをAdobeRGBに設定する。
 インクジェットプリンタで自分の設定を優先してCMYKで出力する場合、プリンタ側の自動色補正を必ずオフにすることも忘れてはならない。キヤノン機への出力の場合、本来は専用のRGBプロファイルを作らなければならないのだが、残念ながら通常の方法では作ることができない。もし作ることができればプリンタの自動設定を切ることができ、自分の意図した色を最大限引き出すことができる。そうすればエプソン機のような深みのある質感を出せるのだが、ののさんも調査中とのことだった。
 他にもアンシャープマスク設定において、印刷分野の経験則で収束していった「範囲250%、半径0.5、しきい値1」の出典の確認とカラーバランスの解説をもう少し強化する予定だったようだ。
 紙への出力については補足を加えるだけだったが、デジタル画像のディスプレイ媒体での表示、特に4K8K動画での色規格については当時まだ状況が流動的だった。その後の動きで本に書いた情報が古くなってしまったのである。
 当時はBT.2020が登場して間もない頃であり、Vol.3が出た2016年7月には輝度領域を拡張しHDR(ハイダイナミックレンジ)を国際標準規格化したBT.2100も登場した。動画の画質を決める要素は5つある。解像度、フレームレート、輝度(ダイナミックレンジ)、色域、ビット深度だ。そのうち輝度以外の4つについてはUHD放送規格であるBT.2020で規格化されている。しかし、輝度は映像制作側でCRTを基準としていたため、SDR(スタンダードダイナミックレンジ)のままとなっていた。近年のテレビやモニターは高コントラスト・高輝度化が進んだことで、いままで再現できなかった明暗の階調を肉眼に近い状態で表現できるHDRの表現が可能となったのである。それを規格化したのがBT.2100だ。
 BT.2100の規格を満たす方式としてPanasonic・SONYが提案するHDR10、Dolby Vision、Philips HDRがあり、どれがBlu-ray Discで必須技術として採択されるかののさんは注視していた。その後ロイヤリティフリー・オープン標準のみで実装可能なHDR10が採択され、2018年1月には普及を促進する為にSDRディスプレイでも近似画質が表示できるHDR10+が発表されたのである。
 ののさんは将来的に、テレビにスライドショー形式で表示する写真も作品として鑑賞に耐えうる画質、内容のものが登場するはずだと見越していた。もしかしたらそれはコミケのコスプレ写真集が最初にやり出すかもしれない。その為に必要な技術情報を提供しておきたいと話していたのである。
□補講として完全版に載るはずだった「鑑賞まで」のプロセス
 筆者はののさんに「撮影から鑑賞までの解説をするならば、Vol.3まででは不十分だ。写真を紙にプリントするにしても、ディスプレイ媒体でデジタル画像を表示するにしても、写真を受け手にどのように鑑賞させるのか、受け手にどう感じてもらうよう写真を演出するのかまで解説しないと、鑑賞まで解説したとは言えない」と意見したことから、完全版では補講が追記される予定だった。
 写真は最終的に人が見ることで初めて成立する。人が見る手段として、紙媒体であればプリントしてアルバムを作る、大きく引き伸ばして写真展を開催する、組写真として写真集を製本するなどの方法になる。ディスプレイ媒体であればデジタルデータ静止画作品としての演出、写真をスライドショー動画で見せる編集方法、もっと言えば4Kテレビやプロジェクターでの上映会などの手段があるだろう。ののさんはそのような写真展での企画の立て方や展示方法、組写真としての写真集の編集方法、デジタル作品の販売方法や、動画編集の基礎知識などを補講として新規に書き下ろす予定だった。完全版のプロットを見れば、写真の長期保管方法や個人アルバムの作り方なども書くつもりだったようだ。
 写真展を開催する場合、額装方法やスポットライトの当て方、展示する高さまで、定石が過去の文献に載っていたそうだ。組写真に関してもある程度の王道パターンは確立されているとのことで書く内容は定まっていたようである。しかし、ディスプレイ媒体の方は紙媒体に比べ表現、演出の歴史が浅く、また現在も技術革新が進んでいることから、どのように理論構築するか試行錯誤を繰り返している最中だった。
 これらをどのように解説するつもりだったのか、残念ながら筆者も全部を把握してはいない。きちんと聞き留めておくべきだったと悔やんでいる。『撮影技術の基礎知識・完全版』が完成していれば、筆者も欲しい本となるはずだった。執筆コンセプト、構成内容のみの表記になることをお許しいただきたい。

■Chapter.6 サークル活動の今後について

□本当はもっと書きたかった本があるんだ
 筆者としても非常に悔しいが、よろず評論サークル「みちみち」は今回で活動休止とする。筆者も結婚し、今年からは子育ても始まった。自由になる時間が細切れになり、執筆のためのまとまった時間を確保することが難しくなっている。実を言えば、将来的にサークル活動をどのように終了するかののさんとも話し合っていた。活動開始当時に宣言した10年続けるという目標はとりあえず達成した。一般的にサークルの平均寿命が4年前後と言われているなかで10周年を迎えたことは、ののさんと喧嘩することもなく長く続けてこれたことと、読者の皆様のお陰である。
 本来なら、お互い書きたい本を数冊書いたらそれで活動終了しようという話になっていた。イメージとしては東京オリンピック後、2021〜2022年頃まで続けるつもりだったのである。
 筆者の方ではまだ『カメラ小僧の裏話クロニクル2 カメラ小僧の裏話7〜12・剣乃ゆきひろ追悼本1〜2編』が残っていた。数年後、ある程度既刊の在庫が捌けたタイミングで、サークル活動10年間のうちの後半の振り返り、各巻の補足追記、後日談を書く予定でいたのである。
 ののさんは『撮影技術の基礎知識・完全版』と『動画撮影の基礎知識』を書くつもりでいた。それらの執筆はまとめるのに非常に時間がかかるため、その間は中継ぎとしてののさんのレンズコレクションからレンズレビュー本を小出しに出していく予定だったのである。当面はののさんの中継ぎが続く形となるが、それらを全て出すまでは続けようとののさんと決めていたのである。
□活動休止後のサークルのあり方と消え方について
 そのような段階的終了の話を進めていた矢先の訃報だったため、筆者一人でサークルを続けることは非常に難しい。無理に維持することよりも、一度ここで活動休止とすることにした。以下は今後についてのお知らせである。
 まず次回以降サークル参加はせず、コミケでの対面販売は今回を最後とする。永久にサークルを再開しないのかと聞かれれば正直先のことは分からない。少なくとも向こう10年程度は子育てに集中することになると思われる。
 サークルのウェブサイトについては、初期の既刊9冊(カメラ小僧の裏話1〜6、女装男子研究本1〜3)の無料公開も行っているため、不都合が発生しなければ当面の間残しておこうと考えている。なお、それ以降の既刊の無料公開の予定はない。
 筆者がまだ書いていない『カメラ小僧の裏話クロニクル2 カメラ小僧の裏話7〜12・剣乃ゆきひろ追悼本1〜2編』もお蔵入りとする。本当は来年『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』のアニメが始まるので、これに合わせ剣乃ゆきひろ追悼本の振り返り、補足追記、後日談なんかも書きたいのだが、同人誌にできる機会は恐らくないだろう。
 COMIC ZINでの委託販売は当面継続する。在庫があるものは適宜再出荷していこうと考えている。また本書とコミケ無料配布本以外は、国立国会図書館に納本してあるので、既刊はそちらでも閲覧することが可能だ。販売、公開し続けることで当サークルの同人誌が何らかの形で文化に寄与することがあればと思っている。
□10年間のご愛読誠にありがとうございました
 本来であれば、今回はサークル活動10周年とコミケ連続当選20回目の記念すべき参加回になるはずだった。コミケのサークル参加連続20回当選である。恐らくこの数字は誇っていいことなのだろう。ののさんと一緒に偉業達成の喜びを分かち合いたかった。サークル活動を笑ってフェードアウトしたかった。
 ののさんがいなくなって、とてもじゃないがサークルを続ける気にはなれなかった。悔しいなぁ。ここで終わるのか。もう少し書きたかったよ。ののさんの書く本が読みたかったよ。こんな終わり方になるとは思っていなかった。ののさん、死ぬのが早過ぎるじゃないか。今にも天から「いや〜気が付いたら死んじゃってたよ。ははは、すまんすまん」という声が聞こえてきそうだ。
 今はまだ書ける状況ではないが、子育てが落ち着き、また本を書きたくなったら、いつかまたこの場所に戻ってきたいと思う。ののさんから教わった技術や知識は筆者の手や頭の中にしっかり残っている。再開するときは、天からののさんが監修し、時折「もっと熱く書け!もっともっと熱い思いをぶつけろ!煽れ煽れ!」と発破をかけてくれることだろう。そんなことを思い浮かべながら、今回は筆を置かせていただくことにする。読者の皆様、当サークルの同人誌を長らくご愛読いただき誠にありがとうございました。そしてののさん、天国で大好きな写真を撮りつつ、ちゃんと『撮影技術の基礎知識・完全版』の原稿、完成させてくださいよ。

■活動休止にあたって(おわりに)

 ののさんは誰かに承認を求めたりはしない人でした。好きなことには色々手を出し、貪欲に取り組んでいましたが、一方で人に自慢すること、見栄を張ること、称賛を得ること、名誉なこと等には興味の無い人でした。自分が好きでやっている訳だからと他人の評価などどこ吹く風、周囲の承認欲求の行動をいつも「どうしてそんなことに一所懸命になるのか、僕には理解ができないよ」と言っていました。ののさんのご友人曰く、大好きだった特撮作品、快傑ズバットのEDテーマ「男はひとり道をゆく」が正に彼の生き様をぴったりと顕しているそうです。
 一方でののさんは常にみんなが幸せになるよう色々考えて行動してくれる人でした。親身に相談に乗ってくれたり、その人が本当に望んでいるものを汲み取りさりげなく先回りして助言を与えてくれたり、時にはその人にとって必要な事を見抜き敢えて苦言を呈したりと、みんなが成長し、元気になることを喜ぶ人でした。人望の厚いののさんの周りには、いつも仲間が集まっていたように思います。
 そんな彼の行動原則の一つに「面白いかどうか」と「マイナー志向」というものもありました。これが良い意味でたちが悪く、ある行動を選択する時に片方の選択肢がたとえどれほど困難であっても、その方が面白いと思えばどんなに下らないことでも万難を排して実行に移すような人でもありました。敢えてマイナーな路線を進み、情報が少ない為自ら実験し深堀し情報収集していくタイプでした。
 特に写真に対する思い入れは一際強く、レンズ収集だけではなく写真技術書や美術書を揃え、参考資料として膨大な数の作例写真を集め日々写真の研究をしていました。毎回テーマを決めて撮影に臨み、検証の積み重ねで作られていったののさんの写真に対する考え方は、独特の視点をもった写真論・撮影技術論だったと思います。ののさんと会ったことのある人は常日頃から聞いていたものですが、その頭の中にあった知識体系を生きているうちに活字としてアウトプットできたことは、当サークルとして意義のあることだったのではないでしょうか。
 ののさん自身も「本を書くようになってから、コミケは売る楽しみの方が大きくて、最近は買う量が減ったなぁ」とも話していました。元々は筆者が本を書くサークルでしたが、サークル活動を通してののさんも本を出す環境を整えたことは、ののさんの自己表現と自己実現に少なからず寄与できたのかなと思います。
 ののさんの死因は高血圧性脳幹部出血とのことでした。ご遺族からお聞きした話では本人はあまり病院に行かず、薬も飲んでいなかったそうです。言い方は悪いのですが、高血圧を放置した不摂生が原因でした。ご遺族からは「皆様もお身体を御自愛ください。定期的に健康診断に行ってください。食事に気を付けて、適度な運動、十分な睡眠を確保してください」との言葉を頂戴しました。
 この言葉は筆者自身もそうしたいと思いましたし、読者の皆様にもお伝えしたいと思いました。防げたはずのことで死んでしまってはいけません。筆者も思い知りましたが、残されて悲しむ人の気持ちを忘れないでください。
 最後に謝辞を述べさせていただきます。
 高崎かりんさんには表紙でののさんの似顔絵を描いて頂きました。素敵な絵をありがとうございます。最後の本にふさわしい表紙になったと思います。そして10年間当サークルの同人誌、通算20冊近くの表紙を飾っていただきました。その年その年で筆者の好きな作品のキャラをいろいろ描いてもらい、毎回素敵な本に仕上がりました。正直表紙イラストでたくさん売れたところもあったと思います。かりんさんには改めて御礼申し上げます。
 華子さんと庶務部長さんには売り子をお願いしました。いつもご快諾頂き感謝しています。お二人にも毎度毎度暑い中寒い中、サークルスペースに立っていただきました。華子さんには女性視点でのおすすめの仕方、部長はバナナの叩き売りのような啖呵売と、筆者にはできない芸当でたくさん売っていただきました。ここまで続けてこれたのはお二人のお陰です。改めて御礼申し上げます。
 ののさんのご友人のB.C.Mさんには、本書の監修として内容のチェックをしていただきました。奥付の写真掲載に関しては「本人は絶対に嫌がるだろうけど、嫌だったら本人が直接この場に文句を言いに来い、ってことだよな」ということで、本人が文句を言いに来ないのでOKとなりました。お忙しい中ご遺族や職場との調整を取り持っていただきありがとうございました。
 そして愛する妻へ。当面新刊を出さずに子育てに集中する筈が、急遽冬コミで本を出すことになり、最後のサークル参加として筆者のワガママを聞いてもらいました。苦労をかけた分、イクメンパパとして恩返ししていきます。ありがとう。
 それでは、この結びの文章を以てよろず評論サークル「みちみち」を休止します。皆様、長い間ありがとうございました。

2018年12月某日 書斎にて
よろず評論サークル「みちみち」代表 みちろう

■奥付

【誌名】カメラ小僧の裏話 最終巻
    ののさん追悼本 今回を以てサークル活動を休止します
【発行年月日】2018年12月31日 初版
【構成・執筆】みちろう
【イラスト】高崎かりん
【監修】B.C.M
【誌面デザイン】みちろう
【印刷】株式会社くりえい社
【発行サークル】みちみち
【発行責任者】みちろう
【ウェブサイト】http://miti2.jp
【連絡先】circle@miti2.jp

※本書内容の無断転載は固くお断りします。
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