よろず評論サークル「みちみち」

●カメラ小僧の裏話6 ネトアとレイヤー 水と油の関係(全文無料公開)

『カメラ小僧の裏話6 ネトアとレイヤー 水と油の関係』表紙

下記の文章は、2012年8月12日、コミックマーケット82で発表した『カメラ小僧の裏話6 ネトアとレイヤー 水と油の関係』の全文です。(図解、挿絵除く)
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■はじめに

 この度は『カメラ小僧の裏話6 ネトアとレイヤー 水と油の関係』をお買い上げ頂き、誠にありがとうございます。気が付けば6冊目となりました。よくネタが続くものだと筆者自身驚いています。
 ここ数年、コスプレROM写真集問題はコミックマーケット全体を巻き込んでの議論となりました。それぞれの立場での主張はありましょうが、一つ上の次元、メタ的な視点において、議論の前提が共有されていないように見受けられます。
 例えば、コスプレ写真集で注目を浴びたり、企業が主催するコスプレショーイベントでステージパフォーマンスをするような「有名なコスプレイヤー」は、本来の意味での「コスプレイヤー」ではありません。名前が付けられていないだけであり、概念としては別の存在です。生まれてきた経緯もまったく異なります。更にややこしくしているのは「現在コスプレをしている若い人たちの多くは、自分がどちら側の立場なのかの自覚がない」ということです。
 このような前提の部分で整理・確認がなされていないため、主張がすれ違い、話の噛み合わない場面が繰り返される不幸な状況となりました。今回は現在起こっている問題そのものではなく、問題を正確に把握するための前提知識がテーマです。本書を読めば、コスプレ文化がどのように変化し、その結果何を得て何を失ったのかについて理解を深めることが出来るでしょう。
 暑さで著者の頭がやられたせいか、当サークルとしては珍しく誰も痛くならない(予定の)真面目な評論となりました。本書によってコスプレ文化の更なる発展と、不毛な言い争いの解消に少しでも役立てたら幸いです。

2012年8月12日
コミックマーケット82にて
みちろう

■目次

はじめに
目次
Chapter.1 有名になりたいコスプレイヤーの出現
Chapter.2 コミケの外で生まれたネットアイドル文化
Chapter.3 異なる二つの文化はなぜ混ざったのか
Chapter.4 お互いのノウハウの輸出入現象
Chapter.5 分離も融合も不可能に決まってるじゃないか
おわりに
参考文献
奥付

■Chapter.1 有名になりたいコスプレイヤーの出現

□「あんなのと一緒にされたくない」というコスプレイヤーの怒号
 コスプレ文化はここ10年の間で大きく変化してきたと言っても過言ではないだろう。それに伴い、昨今新たなすれ違いも増えてきている。
 特にコスプレ界隈で騒がれているトピックといえば、コスプレROM写真集に関する例の二つの問題だろう。一つはうしじまいい肉氏の企業ブース委託販売事件、もう一つは過激なエロ表現による猥褻図画問題だ。
 前者は同人作品の写真集を商業販路(企業ブース)で販売しようとしたことによるものである。うしじまいい肉氏の作品はオリジナル作品もあるとはいえ、この行為は同人マーケットの根幹を揺るがしかねない重大なルール違反だった。個人的に言えば彼女の作品はとても魅力的であり、男性のフェティシズムの心理を擽られるものである。彼女としてもたくさん売りたかったのだろう。だが同人マーケットでの販売以外にも商業流通を前提としていたこと、コミケを商業流通同様の「大きな販路の一つ」としか認識していなかったことはまずかったといえる。
 後者は刑法の問題であり、猥褻図画販売が成立してしまえば前者と同様に同人マーケットが存続の危機に立ってしまう。より過激に、よりモザイクは小さく、おまけでこっそり無修正もお付けしますというところまで来てしまうと、流石に準備会も頒布停止処分にせざるを得ない。そしてそれをも「発禁になりましたが、別の場所で売ります」と宣伝文句にしてしまう。コミケを「箔を付ける場所」として利用するのは褒められたものではないだろう。
 またコスプレROM写真集問題の他にも、近年コスプレイヤーの間でトラブルやすれ違いとなっているものが存在する。撮影場所に対するマナーの悪さや、それに起因する撮影禁止場所の増加、あるいは社会に対してコスプレで注目を集める行為を行い、世間にある種の先入観を持たせることだ。
 近年コスプレでのロケーション撮影や観光スポットでの撮影が一般化した。その反面血糊やカラースプレーなどでロケ地を汚す行為、着替えのためのトイレの占有、通路に三脚を立て撮影で陣取る行為、大量の荷物で占有しての公共交通利用などマナー違反が目立ち、撮影禁止となってしまう場所が増えてきている。
 それにコスプレで世間から注目を集める事例として、昨年行われたニコファーレでのコスプレイベント「TOKYO NICONICO COSPLLECTION」や、テレビ愛知によって毎年8月に行われている「世界コスプレサミット」などがある。いずれも一般向けイベントとして盛況だったようだ。
 だが外部発信型のショーとしてのコスプレイベントと一般コスプレイヤーとの間では、双方の思惑が乖離しているのが実情だ。この手のイベントは特定の有名コスプレイヤーだけがステージに立てるシステムとなっている。しかし多くのコスプレイヤーは他人のコスプレをショーとして鑑賞することに興味はないのである。また限られた人気コスプレイヤーだけに対して出演打診されるため、他のコスプレイヤーはステージに立ちたくても自分の意思で加わることが出来ない。有名コスプレイヤーだけがビジネスとしてパフォーマンスしお金をもらうことについて、冷ややかな目で見ているコスプレイヤーも多いのではないだろうか。
 本質的な問題はこれら一部のコスプレイヤーの行いが、一般のコスプレ活動よりも外部に対して目立つことだ。世間から「これがコスプレ活動だ」「彼女たちこそコスプレイヤーだ」と受け止められてしまうことは、彼女達以外の多くのコスプレイヤーたちにとって違和感を禁じえないものだろう。ごく一部の人たちによって「コスプレイヤー=エロ表現をする人、目立ちたがる人」というイメージが定着してしまうのは望ましくないと考える人もいる。何より大半のコスプレイヤーはエロと無縁な上に、外部に対して目立ちたいわけではないのである。
 自分たちの趣味の世界だけで完結したい、ある意味マイノリティー文化として放って置いて欲しい、大半のコスプレイヤーはそう考えている。にもかかわらず外部から人が入り込んできて、コスプレイヤーはエロ表現好きの目立ちたがりという目で見られてしまう。現在のコスプレ界隈には内側と外側でこのような認識ギャップが存在する。一般のコスプレイヤーから「頼むから一緒にしないでくれ」というという切実な声が聞こえてくるのも仕方のないことだろう。
□駄チワワ氏の主張は、前提となる要素が抜け落ちている
 コスプレROM写真集の具体的な問題に関しては、長年コスプレ活動をされている駄チワワ氏によって、氏のブログ「旅と怪獣舎」やブログの内容を再編した『コミケの教科書』の寄稿「20分で分かる!? コミケ×コスプレ×18禁ROMのパラダイス・ロスト」にて詳しく述べられている。猥褻図画についての法的解釈の仕方や幕張メッセ追放事件など歴史的経緯についても解説がある。脚注に出典を載せておくので是非一読されたい。[※]
 現在起こっている問題の提言そのものに対しては、筆者も駄チワワ氏の考え方に概ね賛同する。しかしコスプレ文化発展の経緯についての解説は、一見よくまとまっているように見えて、重要な視点が抜けていると言わざるを得ない。
 氏はコスプレイヤーとしてコスプレ文化の中に身を置き、内側の視点から発展の経緯について言及している。しかしコスプレ文化の外側から、何かしらの意図を持って干渉し、コスプレ文化に変化をもたらした要素については、氏の文章から見て取ることが出来なかった。そのため議論が表面的な問題だけに終始し、何が起こっていたのか文化の全容が把握されないまま覆い隠されてしまっている。
 筆者はコスプレ文化の内側と外側の中間であるカメラ小僧という立場にあり、たまたまその様子が辛うじて見えていたのだが、非常に緻密な理論を組み立てる駄チワワ氏ですら見えなかったのであるならば、外部からの文化干渉は非常に成功していたことになる。また見えていたとするならば、それが駄チワワ氏の主張する方向に対して都合が悪く、議論をミスリードするために敢えて伏せたと言わざるを得ないだろう。本書ではそこを取り上げ、駄チワワ氏の議論に別の視点からの指摘を加えたいと考えている。

[※]駄チワワ氏のブログ「旅と怪獣舎」
コミケにおける18禁コスプレROMに関する,ざっくりとした小史
[第一回]http://zubunuretiwawa.ldblog.jp/archives/662723.html
[第二回/データ編]http://zubunuretiwawa.ldblog.jp/archives/662726.html
[第三回/わいせつ図画問題編]http://zubunuretiwawa.ldblog.jp/archives/662727.html
□もともと「コスプレ活動」とは何だったか
 さて、ここで今一度コスプレ活動について確認しておこう。そもそも「コスプレ活動」とは何をすることで「コスプレイヤー」とはどんな人を指していただろうか。話を分かりやすくするため、1980年代、1990年代、2000年代と年代を分けてそれぞれの時代の活動を見てみよう。
 コスプレの起源については割愛するが1980年代のコスプレ活動はコミケに来て仮装してお祭りを楽しむことだった。売り子に立つことは勿論、コスプレ姿での花いちもんめやアニメの名シーンの再現寸劇など、パフォーマンスも行われていたという記録がある。この頃既に撮影も行われていたようだが、残っている当時の資料を見る限りあくまでマスコミによる取材か、カメラ小僧本人周辺での「記念写真」「コレクション」で完結していたようだ。コスプレ活動の主体は「イベントに参加すること」「同好の士で交流すること」「お祭り騒ぎすること」であったといえる。
 1990年代になると、コミケの物理的世間的な制約の都合上、コスプレ活動は次第に制限されていくこととなる。コミケ会場で出来ることは「交流」と「撮影」に少しずつ限定されていったが、一方でダンスパーティや遊園地などでのコスプレイベントも行われ始め、「お祭り騒ぎすること」はこちらがコミケの代替として機能していた。
 確認しておきたいのはこの時代のコスプレ撮影も、仲間内の記念写真か、カメラ小僧によるコレクションか、単なる盗撮でしかなく、コスプレを撮影して写真作品を作ることは当時の「コスプレ活動」には入っていなかったことである。コスプレ活動は1980年代同様に「イベントに参加すること」「同好の士で交流すること」「お祭り騒ぎすること」であり、その「内輪で楽しむマイノリティーの場」を守るためにコスプレイヤーは世間に対して目立たないようにしてきたのだ。公共の場や大自然でのロケーション撮影、スタジオを借りてのシェア撮影会でコスプレ写真の作品を作ることや、ましてコスプレイヤーとして有名になるための活動などあり得なかったのである。
□正反対の志向を持つコスプレイヤーが存在している現在
 これが2000年代になると状況が変わってくる。今もコスプレイベントに参加している多くのコスプレイヤーにとって、コスプレ活動は「イベントに参加すること」「同好の士で交流すること」「お祭り騒ぎすること」であり、仲間内の空間で完結する活動、外部に目立たない活動であることに変わりはない。だがここに表現志向を持つコスプレイヤーが突如登場してくるのである。
 誤解しないで頂きたいのだが、「表現志向を持つコスプレイヤー」というのは前述のうしじまいい肉氏や過激なエロ表現のコスプレROM写真集などの問題コスプレイヤーだけを指す訳ではない。エロに限らずコスプレROM写真集を出したり、シェア撮影会を行ったり、ロケーション撮影を行ったりするなどして写真作品を作る人たちや、ショーイベントで一般の観客に対してパフォーマンスをしたりする人たちなど、外部に対して発表しようという創作・表現意欲を持つコスプレイヤーたちすべてのことである。



 コスプレは楽しみ方、関わり方が多種多様で人それぞれとはいえ、過去20数年間、仲間内の閉じた世界で完結する活動だったものが、外への表現志向、自己顕示欲の体現としてコスプレする人が出てきたことが2000年代の特筆すべき点である。これはパソコンとデジカメとネットの普及で安価に表現が可能になった、という技術的な側面だけでは説明が付かないのではないだろうか。
 現在は「仲間内の交流だけで完結したい」「外に対して目立ちたくない」志向を持つコスプレイヤーと、「コスプレで表現したい」「有名になりたい」志向を持つコスプレイヤーという正反対の志向が同時に存在しているのである。
□相反する二つの志向の混在を読み解くのが、状況把握のカギ
 今の様々な軋轢は、抽象的なレベルにおいて二つの志向性の衝突によるもの、と言い換えてもいいだろう。最初の節でも述べたが、有名になりたい側のコスプレイヤーの活動だけが外部に対して目立つがゆえに、世間の「コスプレ」に対する画一的なイメージが拡がるのだ。外からの視点だと志向性の違いはどうしても見えにくいものとなってしまう。
 同じコスプレをしていても二つの志向性はまったく相容れない存在、絶対に混ざらない水と油の関係だ。現状では何故かこれが無理やり一緒にされ、シャッフルされ、ドレッシング状態として扱われている。全部まとめて同じものと認識され「一緒にされたくない」という声はただの同族嫌悪に映ってしまうのである。
 さてこの現状、何かおかしくはないだろうか? こうして過去と比較して今のコスプレ文化を俯瞰して見ると、ある疑問点に到達する。

──どこかの時点で、二つの文化が混ざっているのではないだろうか?

 昔からコスプレ活動をしている人に言わせると「今の状況がおかしい」という認識になるだろう。だが2000年代以降にコスプレ活動を始めた人にとってはドレッシングのように水と油が混ざってしまった後の状況しか知らない。自分がどちらの志向性を持っているか無自覚に行動し、軋轢を起こしてしまう。現在のコスプレ文化にはこれが根源的に存在している。
 今の複雑に入り組んだ状態とややこしい問題の全容を把握するためには、一度ドレッシング状態を水と油に分けて考え、それぞれの違いやルーツについて理解を深める必要があるだろう。論点をまとめると以下の三つとなる。

・何故正反対の志向が混ざってしまったのか?
・それによって何が起こったのか?
・今後どうなるのか? また何をするべきか?

 まずはChapter.2で2000年代に混ざってきたもう一つの志向性のルーツを確認し、Chapter.3で混ざった仕掛けについての解説、Chapter.4で混ぜたことによる功罪について言及する。最後にChapter.5では今後について考えていくことにしよう。

■Chapter.2 コミケの外で生まれたネットアイドル文化

□まずは水と油に名前を付けよう
 本題に入る前に、本書内で使う言葉の指し示す範囲を限定しておこう。以下の言葉をこのように定義して、以降の議論を進めることとする。



 今のドレッシング状態となっている元の水と油について、既存のコスプレイヤー文化を油としたとき、水に該当する絶対に混ざらないもう一つの文化が存在する。そのルーツを解説する都合上「ネットアイドル」という概念も本書では必要となる。こちらも定義を明確にしておこう。



 ネットアイドルという言葉が出てきたところで読者も察しが付いていると思うが、現在の「表現志向コスプレイヤー」及び「コスプレもするネットアイドル」は過去のネットアイドル文化の流れを汲んでいる。
 ややこしいのだが「コスプレイヤー」と「ネットアイドル」は背反関係ではない。定義上「コスプレイヤー兼ネットアイドル」が成立してしまうが故に、ドレッシング状態にされやすいのだ。
 だが、双方の文化の深部では絶対的に相容れない要素が含まれているため、結果的に「ネットアイドル文化」と「コスプレイヤー文化」が事実上の水と油の関係となっている。これからそれについて解説していこう。
□ネットアイドルとコスプレイヤーの違い
 純粋に「コスプレとまったく関わらないネットアイドル」あるいは「ウェブサイトを持たないコスプレイヤー」であれば二つの違いは明確であり、わざわざ違いを説明する必要はない。
 だが「コスプレもするネットアイドル」と「ネットで有名になる(アイドル視される)コスプレイヤー」は整理しておかなければならないだろう。特に後者は「既存のコスプレイヤー」である場合と「表現志向コスプレイヤー」である場合に分別される。

 外から見分けが付くかは置いておいて、コスプレ活動がコスプレイヤーとしてのものか、ネットアイドルとしてのものかには、いくつかの分類基準がある。
 まず既存のコスプレイヤーであるならば、活動の出発点が仮装する、衣装を作る、着る、イベントで交流するなどの楽しさであり、基本的に自腹で活動している。活動を通してお金を得たりはしない。映画鑑賞や旅行などと同じように、趣味として自分でお金を払って楽しむと言うスタンスだ。
 またこのタイプはコスプレ文化の保守本流であるため、コスプレイヤー人口の大部分の割合を占める。そして人口はとても多いが、コスプレイヤーたちだけで完結する閉じた世界でもあるのが特徴だ。外に対しては極めて目立たない存在であり、彼女たちもそれを望んでいる。美人だから、エロい格好だからという理由で外部から注目されることは基本的に望んでいない。
 対して「コスプレもするネットアイドル」の活動の出発点はファンとの交流であり、時として金銭の授受も発生する。ファンとのコミュニケーションの一環として撮影会をしたり、写真集を販売したりするのである。ファンサービスとしてのコスプレという側面を持ち、ファン獲得のために敢えて注目されるようなことを行うことも、その活動に含まれている場合がある。彼女たちはコスプレイヤー同士の交流という内側を向くのではなく、外側にいるファンやこれからファンになる人に対して発信しているのである。
 「表現志向コスプレイヤー」はファンとのコミュニケーションが主体という訳ではないが、作品を作り、世間に対して発表するという部分では「コスプレもするネットアイドル」同様に外側に向けて発信しているといえるだろう。
 こちらはコスプレ文化の中で見れば新興勢力であり、全体から見れば少数割合の人たちだ。だが世間に対しての露出度、発信力がとても大きいため、こちらの人たちの方が社会のコスプレに対するイメージ形成に影響を及ぼすのである。
 さて、ここまで既存のコスプレイヤー文化と対立する「外に情報発信する志向性」の説明に散々ネットアイドルという言葉を使ってきたが、そもそもこれがどういう文化なのか、どのような登場経緯があるのかについて説明が必要だろう。
 コスプレ文化の話からは少し離れるが、ここでネットアイドルの発祥から、ネットアイドルがコスプレするようになるまでの経緯を振り返ってみよう。
□ネット黎明期が生んだ「紅一点コミュニティ」という現象
 ネットアイドルが世間に知られるようになったのは1999年のネットアイドルブームからである。ネットを駆使する女性としてマスコミで取り上げられ、写真集の出版やミスコンテストなども行われた。元祖ネットアイドルとしてブームの火付け役だったMICHIKO氏などはご存知の方もいるのではないだろうか。
 ブームになるということは、それ以前からその現象が起こっていたということだ。ネットアイドル文化を理解するためには、それが現象として発生してきた時期まで遡る必要がある。この系譜を遡っていくと、発端はインターネット黎明期に起こっていた「女の子一人に対して男性の取り巻きが出てくる」という紅一点のコミュニティ現象に行き着く。まずはそこから説明していきたい。
 この現象の始まりは個人のインターネット文化の発祥と密接に関係がある。個人がネットを使えるようになったのはいつからだろうか。個人向け格安プロバイダーが登場したのは1994年からだが、ネットが各家庭に浸透するまでは数年間のタイムラグが存在する。ここが現象発生のポイントだ。注目すべきなのは、1994〜1998年頃はまだネットユーザーの男女比が著しく偏っていたことである。
 当時パソコンを使っていたのは技術やエロに興味の強い男性が中心であり、ネット上では女性が圧倒的に少なかった。男女比は100対1といってもいい。そこでは女性が重宝され、女性というだけで人が集まる傾向があった。当時ネットでは「女性であること」そのものに希少価値があったのである。
 新しいメディアの登場には新しいコミュニケーションの形態が登場する。特にインターネットの場合はその著しく偏った男女比から、紅一点の女性を中心に多くの男性が群がる現象が起こったのだ。女の子がウェブサイトを開設したというだけでアクセスが集まり、掲示板やチャットルームが盛り上がったのである。男性から注目を集め、チヤホヤされるという構図。この女の子サイトと紅一点コミュニティが後にネットアイドルと呼ばれる原形となっていく。
□紅一点という要素以外は、多種多様な女の子サイト
 一口に女の子サイトといっても実に様々なものが存在した。女子学生によるお気楽なサイトもあれば、主婦やOLの大人向けのサイトもあったようだ。イラストや日記、コラム、心情の吐露、フェチ写真など、内容はとりあえず作ってみました的なものから、凝ったもの、アダルトなものまで多岐に渡っていた。
 人気のあったのはモデル、レースクイーン、コンパニオン、キャンペーンガールなどの仕事をしていた女性の写真サイトだ。半分は営業として、半分は個人的な趣味としてというフランクな方針のものが多く、各イベントでカメラ小僧から貰った写真を掲載していたようだ。
 特異な形態として、タレントやアイドル、歌手、女優、声優志望など芸能界で働きたい女の子がウェブを自己プロデュースの場として活用するケースもあった。実際にそれで芸能事務所に所属した人もいたようだ。その延長で事務所側がプレアイドル(デビュー前の商業アイドル)をプッシュするためにサイトを作ったり、あるいは女の子本人に作らせたりもしていた。
 地下アイドル(アマチュアで歌手活動をする女の子)の出演スケジュールを掲載したサイトを有志のファンが作るケースもあった。女の子本人が運営している訳ではないが、本人が文章や写真を提供したり掲示板に登場したりすることで、実質的には他と同様に男性ファンが集まるサイトだったようだ。
 ついでにいえば、男が集まるという集客要素を逆手に取って、男が昔の彼女の写真を使ってネットオカマを演じていたり、カップルや夫婦、愛人関係の男女で男が女をプロデュースする形で微エロ・フェチ系サイトを作り、物販やコンテンツ収入を得るようなアダルトサイトと紙一重のケースもあった。
 これら多種多様な形態の女の子サイトが1999年のブームによって、まとめてネットアイドルと呼ばれることになる。しかしマスコミによる少々乱暴な括り方であったため、この言葉は結局何を指すのか非常に曖昧で捉えどころの無いものとなってしまった。なにせ10代の趣味サイトから、モデル系写真サイト、年齢不詳の微エロサイトまで全部同じジャンルとされてしまったのである。ネットアイドルと呼ばれていた人の中には「私は自分のことをネットアイドルだとは思っていない」という人もいたくらいだ。
 このようにネットアイドルは一つの体系的にまとまった概念をさすものでは無く、ネット上で局所的に発生していた紅一点コミュニティ現象に対して、外からある種のレッテルを貼った言葉だったのである。
□女の子サイトと紅一点コミュニティは今のニコ生と同じ構図
 次に具体的な特徴と中身を見ていこう。女の子サイトが人気を博し、紅一点コミュニティの賑わいを作り出すためには、サイトにいくつかの要素が必要だった。具体的には以下の通りだ。

・女の子のプロフィール
・女の子の写真
・女の子の文章(日記、エッセイ、コラム、ポエム)
・掲示板、チャットルーム、メールなどの交流の場

 一概には言えないが大抵上記の4つがあれば女の子サイトとして成立した。特に写真は重要だ。ネットでは男が女のふりをすることが簡単に出来てしまうため、プロフィールとセットで女の子本人のいろんな写真があった方が信頼され、ウケが良かったようだ。
 あとは通常のサイト運営と同じである。まめに更新をし、掲示板やチャットのやり取りで訪問者にテンポよく反応する。コンテンツが定期的に更新されることで訪問者がリピーターとなり、掲示板やチャットで女の子とコミュニケーションすることで、リピーターがファンとなっていく。ちなみに女の子の写真や文章が有りさえすれば、コンテンツの質の良し悪しに関係なく男は集まってきた。

 当時の掲示板やチャットルームのやり取りは、今のニコニコ生放送のイメージに近い。動画を通して生主のキャラクターを知り、生主とコメントでやり取りをする構図は、写真や文章で女の子のキャラクターを知り、掲示板やチャットルームで女の子とやり取りをするのと同じである。女の子とファンの継続的なコミュニケーションが成立することで、そこに居心地のいい場所を作ることが出来るという仕組みだ。
 これは女の子にしてみてもファンの男性訪問者にしてみても、お互い打てば響くように反応があることで、自分を見てくれている、認められているという満足感が得られる効果がある。これは中毒性が高く、病み付きになるものだったに違いない。このコミュニケーションの循環が上手くいったサイトほど、人気のあるサイトとなったのである。
□交流の間が持たない→話のタネになる燃料が必要だ
 女の子サイトの運営動機を考えていくと、多種多様な形態に一貫性が見えてくる。通常の個人サイトであれば有益な情報の掲載や、作品発表、何かの活動の宣伝や報告などが目的だろうが、女の子サイトはそれが一番の目的ではない。自分を認めてくれる人たちがいて、その人たちと交流し続けられる居心地のいい場所がそこにあるからである。言い換えれば多くのファンに注目され、彼らと良好なコミュニケーションが維持されることが目的だ。サイトを作る女の子は誰しも大なり小なり承認欲求を持っている。現実ではパッとしなくて自信のない私、それでもを誰かに認めてもらいたくて、ネットを通して自分を認めてくれる人と交流し、承認され続けるためにやっているのである。男女比が偏っていて私を認めてくれる紅一点の状況を作りやすい環境がたまたま黎明期のネットだっただけであり、女の子サイトはその結果というわけだ。
 だがお互い知らない者同士、共通の話題も無いのでは交流は上手くいかないものだ。いざ会話するとしても「写真キレイですね」「ありがとうございます」で終わってしまっては長続きしない。そのためにコミュニケーションの材料となる話題は定期的に作り出される必要があったのである。
 例えば会話のきっかけになりそうな、日記やコラムなどの女の子の文章、写真やボイス、ゲームやクイズコーナー、占いやお悩み相談室などの企画もの、趣味の活動報告、個人売買など、ウェブサイト上で出来ることは何でも行われた。
 また時代が後押しした面もあるだろうが、ブームの絶頂期にはマスコミや出版社から声が掛かり、テレビ出演や雑誌の取材、写真集の発売、ミスコンテストやショーイベントなどの出場などもあった。「今日はどこどこの番組に出演したよ」と日記や掲示板で報告し、ファンと喜びを分かち合っていたのである。
 掲示板やチャットルームに常連が出来てくるようになると、今度は直接会おうという話になる。いわゆるオフ会だ。こちらもイベントとしてはお食事会やカラオケ会から始まり、回を重ねるごとにお花見、BBQ、花火大会、クリスマス会、ツアー旅行と活動規模が大きくなっていく。そしてオフ会の活動報告やその時の写真が掲載され、掲示板では「次は何をしようか」と盛り上がったのである。

 当時の女の子サイトでは、訪問者とのコミュニケーションを作り出すような企画やイベントが定期的に行われた。ウェブサイトをうまく活用するような物事や活動は何でもファンとの交流のための話題作りになりえたのである。
□話題作りの様々な試みが、撮影会とROM写真集を生み出した
 サイトに掲載するプロフィールと文章は自分で書けるとしても、様々なシーンの写真を女の子個人で定期的に用意するのは何かと大変だ。だがそれ自体も交流のネタになるのである。写真が必要ならファンに撮って貰えばいい。どういう写真を撮りたいかリクエストに応じれば、それもファンサービスの一環となる。そしてオフ会活動の一つとして「撮影会に出演する」という流れに繋がっていく。当時モデル探しに苦労していたアマチュア撮影会側も女の子からの出演希望は渡りに船であり、利害の一致した双方が手を取り「ファン参加型イベント」として大きくなっていったのである。
 女の子サイトでの撮影会活動の主目的は「様々なバリエーションのJPEG写真を作ること」「撮影を通してファンと交流すること」である。この二つを達成するために色々な場所に行ったり(観光スポットへの遠征やストリートお散歩撮影会)、色々な衣装(コスプレ)での撮影、季節やイベントごとのサービスショット(振袖、水着、浴衣、サンタ)などが行われるようになっていった。
 このような女の子サイトのコミュニティ活動があちこちで行われるようになると、次第にお互いのやり方やノウハウを共有したり拝借したりといったことが起こるようになる。例えば本来は地下アイドルがやっていた自主製作CDなどの物販活動だ。CD-Rで安価にCDを自作出来るようになると、彼女たちの物販文化を模倣してROM写真集を作り、サイトやオフ会で販売するようになった。話題作りとして既知のファンが買ってくれるというだけでなく、数が売れること自体「自分が認めて貰えた」という承認に繋がる面もあったようだ。
 最終的に女の子の写真と文章が更新され続け、常に掲示板とチャットルームがファンとの交流で賑わい、サイト上で物事が回り続けることが女の子当人とファンにとって楽しいことであり、一番重要なことだったのだ。とにかく女の子サイトの中でファンと女の子の交流サイクルが回り続けるために、話題作りとなる面白そうなことは何でも行われたのである。
□ネットアイドルが死語になったワケ(ブームから衰退まで)
 最後にネットアイドル文化の負の側面として、現在この言葉が死語となってしまった経緯について説明しよう。
 もともと多種多様だった女の子サイトはネットアイドルと名前が付いたことで一つのジャンルとされ、1999〜2001年にはブームとして絶頂期を迎えることとなった。ネットの普及とメディアへの露出が重なり、ネットアイドルへの注目度が一気に高まっていったのである。これは局所的でローカルな現象だった紅一点コミュニティ文化に大きな変化をもたらした。
 まず起こったのがポータルサイトの出現だ。ネットアイドルと呼ばれる女の子とそのサイトが多数増えてくると、それらを整理してまとめるリンク集や、ブームを底上げし応援しようとするサイトが登場した。
 だがポータルサイトを訪れる男性にしてみれば、多々いるネットアイドルの中から美女、可愛い人、人気のある人、有名な人などを手っ取り早く知りたいのが本音である。そしてそのニーズを酌み取るようにリンク集が「ReadMe! Japan」形式のようなアクセス数によるランキング制に切り替わり、後に投票による人気ランキングに切り替わっていったのである。
 この人気ランキングの登場で、ネットアイドルは「人気度」という物差しで一列に並べられ優劣を評価されることとなった。程なくしてファンの間でランキング投票競争が始まることになる。組織票や不正な多重投票を試みたり、何位以上になったら女の子からご褒美画像が貰えるなど競争に拍車が掛かるようになると、それ自体が話題作りとして目的化していったのである。
 このポータルサイトと人気ランキングによるヒエラルキーの出現は、別の現象も引き起こしていった。元々ネットアイドルという名称は、紅一点コミュニティとして女の子に人気が出てから周囲に呼称されるものだった。だがブームが広まるにつれ、次第にそれらを見た女の子が「私もネットアイドルになってみたい」「自分を中心とするファンに囲まれてみたい」と自発的に目指す対象となっていったのである。同じようにウェブサイトを作り、ポータルサイトのランキングに登録すればネットアイドルになれると勘違いし、人気が出ようが出まいがネットアイドルを自称するようになっていった。言葉が独り歩きし、自らを再生産していく現象が起きたのである。
 この自称ネットアイドルというものは存在自体が本末転倒である。そもそもアイドルとは自称するものではなく、周囲の支持があってはじめて成立するものだ。だが実際には自称ネットアイドルも同じようにランキング工作や、コスプレ撮影会、ROM写真集の販売、メディア活動の真似事と、先人たちの行ってきた紅一点コミュニティ活動を堂々と模倣していった。そもそも2000年以降はネットがどんどん普及し男女比が是正されていくのだから、ただ女性というだけでは紅一点になりにくくなるのは当然の流れである。それでも自称アイドルは人気が伴わなくとも人気者としての振る舞いをしていった。これが客観的には実に痛々しく映り、ネットアイドルが痛い言葉の代名詞となっていったのである。

 ネットアイドルは二種類に分類出来る。一つはブーム以前から人気があり、女の子サイトで紅一点コミュニティを形成していた「結果的ネットアイドル」だ。もう一つはブームを見てその現象を自ら求めた「自称ネットアイドル」である。
 どちらも「自分を認めて欲しい」「認めてくれる人と交流したい」という承認欲求があったことは確かだが、片方は結果、片方は目的という点でまったく異なる。だが厄介なことに外から見ればどちらも同じネットアイドルだ。時間が経つにつれて自称アイドルが肥大化し、ネットアイドルという言葉がどんどん痛い意味を帯びていった。そうして結果的ネットアイドルは自らアイドルの立ち位置であることを辞め、活動をフェードアウトさせていったのである。
 インターネットという新しいメディアの先駆者であり、時代の寵児だったはずのネットアイドルは、外側だけを模倣した自称ネットアイドルにそのプラットフォームを食い荒らされ、次第に衰退していったのである。
□外見上やってることは同じでも、ルーツはまったく違う
 ネットアイドルについて駆け足で解説してきたが、彼女たちがどのようにコスプレするようになっていったのか、その背景が見えてきたのではないだろうか。
 コスプレイヤーにとってのコスプレは楽しむための目的そのものだが、ネットアイドルにとってのコスプレは自分を認めてくれるファンとの交流のためのものであり、話題作りの手段の一つに過ぎないのである。同じコスプレをしていてもその振る舞いがまったく違うのはそのためだ。
 もうひとつ踏まえておきたいことがある。今は見る影も無いネットアイドル文化だが、当時の女の子サイトと紅一点コミュニティは2000年代以降の新しいコミュニティ活動、表現形態の原形を作ったことだ。「コスプレで表現したい」「有名になりたい」という外に情報発信する志向性のルーツがここにある。
 ネット上のコミュニティをホームベースとして、そこから撮影会のノウハウや、ROM写真集の制作ワークフロー、個人レベルでのライブやショーイベントの企画や出演など、その後のネット発の個人による表現・発表・発信の新しいかたちを生むきっかけとなった。当時のネットアイドルの活動や表現は(結果的、自称ともに)稚拙なもの、質の低いものが多かったのは確かだが、コスプレ撮影会やコスプレROM写真集、アイドルがファンやギャラリーに見せるショーとしてのコスプレ、というものがネットアイドル文化から生まれてきていたことは紛れも無い事実である。
 ここで冒頭で分類した3つのタイプについて考えてみよう。例えばそれぞれのタイプにとってのコスプレROM写真集の位置付けを考えてみると…

・「コスプレもするネットアイドル」
→ファンに買ってもらう(承認欲求)、コミュニケーションの燃料
・「表現志向コスプレイヤー」
→コスプレが好き過ぎて写真集まで作ってみた(同人活動)
・「既存のコスプレイヤー」
→無関係だし勝手にすればいいが、写真集を作る人と一緒にされたくはない
コスプレイヤーが目立ちたがりの人種だと世間に誤解されるのは不愉快

概ね上記のような捉え方だろう。だが価値観は厳密に分類出来るものではない。特に「コスプレもするネットアイドル」と「表現志向コスプレイヤー」は境界線が非常に曖昧だといっていい。ネットアイドルとコスプレイヤーでは動機の出発点が異なり、そのため境界線は確実に存在するはずだが、お互いの要素がお互いに染まりつつあり非常に見えにくいのだ。つまりコスプレイヤーでも承認欲求の強い人は目的のウェイトが変わってくることもあれば、ネットアイドルもファンサービス云々抜きで純粋にコスプレを楽しんでいるときもある。
 そこに2000年代以降にコスプレ活動を始めた人が入ってくると、この分類はさらに困難なものとなる。新しく入って来た人は自分のコスプレ観がどちら側をルーツとするものか自覚しておらず、むしろ「コスプレもするネットアイドル」と「表現志向コスプレイヤー」は同じものと捉えているだろう。
 繰り返しになるがネットアイドルとコスプレイヤーは水と油の関係である。境界線は曖昧になっているが確実に存在する。外見上同じことをやっているように見えても、それはドレッシング状態になっているに過ぎないのだ。

■Chapter.3 異なる二つの文化はなぜ混ざったのか

□ある時から水と油がドレッシングになった
 これまで、コスプレ文化に混ざってきたもう一つの文化としてネットアイドルにスポットを当ててきた。ネットアイドル文化は、紅一点コミュニティ活動が発展して出来たものであり、彼女たちがファンとの交流の話題作りにコスプレを利用し始めたことからネットアイドル文化とコスプレ文化が混ざり始めた。
 さて、この二つが自然に混ざったのかといえばやはりそうではないだろう。同じコスプレをしていても各所で摩擦や軋轢が起こっている以上は、同じ場所に二つの文化が併存しているだけであり、とても融合したとはいえない。つまりこの二つは、誰かによって意図的に混ぜられたと考えるのが妥当なのである。
 そう考えると次に浮かぶのは、誰が、なぜ、どのようにこの二つを混ぜたのかという疑問だろう。これに答えるためにまず「なぜ混ぜる必要があったのか」に着目し、次に「それを思い立った人たち」、「どのように仕掛けていったのか」という順に流れを見ていくことにしよう。
□既存のコスプレイヤーたちが抱えていた課題
 まず混ざる前のコスプレ文化における、周囲との関わり方がどのようなものだったのかを見てみよう。1990年代までのコスプレ文化は何も問題が無く平和だったのかというと、決してそのようなことはなかった。むしろ世間の無理解による奇異の目、偏向報道の対象、それに伴うコスプレ不要論の噴出という存亡の危機の連続であった。当時のコスプレは極めてマイナーで局所的な活動だった上に、コミケなどの限られたイベントの中だけで内輪的に完結するものだった。言い換えれば閉鎖的で外からは何をやっているのか見えないものだったのだ。
 コスプレイヤーからしてみればそれは誤解だっただろう。確かに奇抜な格好であり人の目を引くものだが、決して反社会的な怪しい活動ではない。また閉鎖的に見える部分も、その「内輪で楽しむマイノリティーの場」を守るために敢えて世間から目立たないようにしていただけである。
 だがこれはコスプレが市民権を得ていない状態と言わざるを得ず、長年の課題だったともいえる。「私たちは誰にも迷惑をかけず、同好の仲間内だけでひっそりと活動したい。だから私たちのことは放って置いてくれ」という姿勢は、小規模のうちは問題が起こらなかっただろうが、1990年代後半には無視出来ない規模となっていたのである。外から見ると得体の知れない活動であるコスプレ活動において、コスプレイヤーが増えていく一方であるというのは、世間から見れば不気味であり脅威に見えたことだろう。
 またこの内輪で完結するという閉鎖性は、コミケやコスプレイベント以外でのコスプレ文化が発展する展望、伸びしろが見えないという点でも障害だった。外に向けて表現・発信しないということは、コスプレイヤー以外の人たちに対して自分たちの活動を知ってもらい、アピールし、新たにコスプレに興味を持つ人を増やす
ことにも繋がらないのである。
 これは都市部と地方で情報格差があり、都市部以外では参加するためのハードルが異様に高かったことを意味する。コスプレイヤー自身によるコスプレの外部への情報発信がない以上、当時の偏向したマスメディアを見るか、実際にイベントに行くことでしかコスプレを知るきっかけが存在しなかった。知ったとしても心理的、技術的、情報的なサポートの出来る人が身近にいなければ、相当な覚悟が無いと始められないものだったのだ。
 既に活動しているコスプレイヤーたちにとっては別に困らないことだっただろうがコスプレという趣味の活動を全国レベルに広め、全国各地にコスプレイヤーを増やし文化をさらに大きく発展させようと考えると、この内輪完結型の活動形態が普及の障害として足を引っ張ったのである。
□コスプレ文化のオープン化を望んだ人たち
 そうした状況の中、この問題を解決しコスプレ文化を発展させるため動き始める人たちが出現する。この人たちはどのような人だったのか?そして何をしていったのだろうか?そして、その結果何が起こるのだろうか?
 ここで、コスプレ文化が発展し全国各地にコスプレイヤーが増えると誰がどのように嬉しいか考えてみよう。大局的にはコスプレに関わる全ての人にメリットがあるだろうが、直接的にはコスプレイヤー相手に商売をしている人たちにメリットがある。具体的にはコスプレ衣装、ウィッグ、カラコン、関連グッズなどの製作業者、コスプレ情報誌を出す出版社、撮影スタジオや撮影会団体、メイド喫茶やメイド関連サービス業者、コスプレイヤーズアーカイブやCure などのネットサービス業者、ショーイベントや番組を手がけるテレビ局など、コスプレをビジネスチャンスと捉えた人たちだ。動き始めた人々の中にはこういった商売関連の方も多く、そうした人たちは、東京だけでなく全国規模でコスプレ人口を増やし商売として成り立つようにしたかったのだ。
 1990年代にコミケで爆発的にコスプレイヤーが増えたと言っても、数字にしてみれば高々数千人の規模である。潜在的にもっといたとしても、活動範囲はイベントの行われる東京や大阪など都市部に限られるため、せいぜい一万人程度が関の山だ。コスプレは衣装やパーツ、撮影やショーイベントなどビジネスチャンスの宝庫だとしても、閉鎖的な傾向と今後の展望の不透明さ、一万人程度に限られたマーケットと考えると参入にはやはり二の足を踏むだろう。
 そこに1999〜2001年頃ふって湧いたのが「コスプレもするネットアイドル」という存在だ。彼らは彼女たちを見て「これだ!」とピンときたのである。彼女たちの外への表現や発信の志向性をコスプレの世界にも取り入れ、コスプレを広く世間に発信することで文化をさらに大きく発展出来ると考えたのだ。
 逆にここでこの二つの文化を混ぜないと、どちらの文化にも未来がないと考えたのではないだろうか。片や内向きで市民権の無いコスプレ文化、片や自称アイドルの肥大化で痛々しいイメージが付いてしまったネットアイドル(紅一点コミュニティ活動文化。混ぜることで双方の課題を解消し存続させることが出来ると判断したのである。
 ここで改めて混ぜることのメリットとデメリットを確認してみよう。混ぜることで「コスプレもするネットアイドル」が「コスプレイヤーとして表現活動をし、外に向けてコスプレをアピールしてくれる。オープンになることで世間に見えやすく、コスプレ活動の理解を得られやすくなるというメリットがある。
 また市民権を得ることで参加ハードルが下がり、新規のコスプレ人口が増えることが期待出来る。コスプレ人口が増えればスケールメリットで商売が成り立つようになり、商売が成り立てば衣装や撮影など様々なサービスやクオリティが向上する。コスプレの質の向上に寄与出来るという訳だ。

 デメリットは既存のコスプレイヤーとの摩擦が避けられないことだ。外に見えるようにオープン化するということは、周囲から注目を浴び、比較され、自動的に人気ランキングに組み込まれることも意味する。好きでやっているにも関わらず、勝手に点数や順位を付けられたら不愉快になる人もいるだろう。
 またコスプレの参加ハードルが下がれば、それだけ意識の低い人も簡単に入ってくることとなる。マナーの悪いコスプレイヤーやカメラ小僧も更に増大し、ロケ地汚し場所の占有、盗撮なども増えるだろう。既存の同好の集まりとしての長閑な雰囲気は消滅してしまうことも挙げられる。
 最後にネットアイドル文化の負の面として、必ず集客効果を利用した金儲け主義や性の商品化の問題が付いて回るということだ。たとえ裸を晒してでも、私を見て欲しい、誰かに認められたいという承認に飢えた人は少なからず存在する。一度認められると承認され続けるためにどんどん過激な方向に進んでしまう。
 当時この変革に関わった人々がどこまで明確にデメリットを捉えていたかは分からない。彼らは商売にならない時点からコスプレへの参入を考えるという相当コスプレが好きで入れ込んでた人たちであるが、彼らのような意図的に二つの文化を混ぜようとしていた人たちはコスプレで商売がしたかったのである。そのため、総合的に二つを混ぜることはデメリットよりもメリットの方が大きいと判断したのだ。
□ネットアイドル文化をコスプレに取り入れる仕掛け
 二つの文化を混ぜてなじませる、つまり「ドレッシング化する」とはどういうことだろうか。それは二つの間の境界線を消すことは出来ないものの曖昧な状態にし、文化の外側からも内側からも見えにくい環境を作り上げることである。
 混ぜる前の状況としては「既存のコスプレイヤー」と「コスプレもするネットアイドル」がいた。コスプレをするという点ではどちらも外見上同じことをやっており、外側からは既に同じものに見えている。とすればやるべきことは二つだ。「コスプレもするネットアイドル」を「コスプレイヤー」という枠組みに引き込むことと、コスプレ文化の中にネットアイドル的な概念を組み込み、「既存のコスプレイヤー」に対して、承認を得られることに気付かせながら表現・発表活動を促すことである。いくつか実際に行われた取り組みを見てみよう。
 まずコスプレSNSについてだ。代表的なものにCureとコスプレイヤーズアーカイブの二つがある。Cureは写真投稿や公開範囲設定機能に定評がある一方、アーカイブではきめ細やかなコミュニティ支援機能があるというようにそれぞれ特徴がある。だがどちらも共通しているのは、登録すると自然に人気度の指標が目に入るインターフェースとなっていることである。Cureにはファンクラブというファン人数が表示
されるコミュニティ機能や、キャラクターリングという投票ランキングがあり、アーカイブには各種人気ランキングに総合評価のレベル制、及びSPレイヤー(レベル30以上)というランクがある。
 これはネットアイドルのランキング文化を継承したものと言えるだろう。直接的な投票だけではそれ自体が目的化してしまうため、サービスの中の数値を人気度指標としての意味に置き換えている。人気度の概念がコスプレ文化の中に入ってくることで登録したコスプレイヤーは自分のレベルや人気度を嫌でも気にするようになる。
 多くの既存のコスプレイヤーにとっては、他人と比較しても自分の人気の無さに不快になるだけだろう。しかしひとたび自分のコスプレ活動に人気が出て人から注目されるようになると、これが満更でもない気分になってくるのである。
 コスプレSNSの人気度を可視化するインターフェースは、潜在的に人気のあるコスプレイヤーにちゃんと注目が集まるようにし、承認が満たされるように仕向けるシステムなのだ。そして人気コスプレイヤーを見た人たちにも「私もあのように人気者になりたい」と思わせ、表現への意欲をかき立てさせるのである。
 コスプレイヤーに表現志向を持ってもらうための次の仕掛けとして、コスプレ撮影での「完コス化」とコスプレ写真の「作品化」がある。もともとイベント会場での記念写真でしかなかったコスプレ写真に、作品として多くの人に発表する、見てもらうという方向性をコスプレイヤーに意識してもらうのである。
 この方向性の源流はネットアイドルの撮影会やROM写真集だ。既に2002年には存在していたのだが、これをコスプレイヤー側に一気に浸透させたのが2006年頃から登場したコスプレ情報誌である。現にこの年を境にコスプレROM写真集が急に増え始めている。
 コスプレ情報誌に載るコスプレグラビアや撮影テクニックの記事によって、綺麗なコスプレ写真作品が提示され、コスプレ活動の目指すべき完成形の一つとして受け止められるようになった。要は、「私もあんな風に写真を撮ってみたい」とコスプレイヤーに思わせることに成功したのである。
 一度完成形を見てしまえば、その概念が理解出来、やり方や方向性が見える。この頃には既にカメラ小僧が撮影会の企画運営、コスプレに使えるレンタルスタジオ情報遠征撮影のノウハウなどを持っていたので、この作品撮りにシフトする流れは早かった。イベント参加のためのコスプレではなく、写真作品として表現するためのコスプレという動きがコスプレ情報誌によって加速したのである。

 他の取り組みとして、ショーイベント形式によるコスプレのパフォーマンスという外部に対して情報を発信する試みがある。
 通常のコスプレイベントではコスプレイヤーの有名度も、完成度の高低も、美人もブスもすべて玉石混交だ。しかしコスプレ文化を世間に肯定的なイメージで受け入れてもらい、「コスプレイヤーになってみたい」という女の子に新たに出てきてもらうためには、有名コスプレイヤーというわかりやすい広告媒体が必要だった。そのため人気度や外見的魅力による選別を行い、ランキング上位で且つパフォーマンスや有名になることに興味のある人たちでコスプレショーを行うのである。
 これはネットアイドルポータルサイトが行ってきた「人気度の可視化」に近い。娯楽としてコスプレを鑑賞(だけ)したい人の「自分の目で見て探すのが面倒くさい」「手っ取り早く可愛くて完成度の高いコスプレが見たい」というニーズに応えたサービスと言っていいだろう。人気コスプレイヤーがパフォーマンスを披露し、一般人がそれを見て楽しむというビジネスモデルの確立である。
 これは独立した「混ぜる仕掛け」というよりは、コスプレイヤーの中で形成されてきた人気度ヒエラルキーと完コスの表現志向を利用したビジネス上の副産物だろう。だがこの二つがイベントとして可視化されることで、より混ざる方向に加速し、そしてコスプレ文化の外側に広く発信する効果が見込めたのだ。
 これらのような様々な取り組みの結果、コスプレ文化の中に「コスプレで表現したい」「有名になりたい」志向を持つコスプレイヤーが極めて自然に見える形で増えていったのである。
□違和感を感じつつも、誰もその正体に気付かなかった
 これまで述べてきたような外部からの文化干渉に拒否反応が無かった訳ではない。コスプレ文化に人気度の概念が入り込み、商業主義が進むことについて、既存のコスプレイヤーの中で様々な意見や議論があったことは確かだ。
 だが一番重要な「違う文化が意図的に混在させられつつある」という事実について誰も明確な視点を持っていなかったのである。その結果、「何かがおかしい」「でも何がおかしいのかわからない」「でも今の状況は受け入れ難い」という反応に終始し、議論が空回りすることとなった。
 一方でコスプレ文化のオープン化が進んだことにより、全体的にはコスプレ人口が増え、サービスが向上し、発展に明確な展望が見え始めた。「ドレッシング化」を認識出来なかったものの、無意識的にこの流れを是とする人が多かったのも事実だ。つまり今回の事象は右図のような立場に分けることが出来る。
 コスプレ文化の内側の視点からは「なんかよくわからないけど、望ましい変化も望ましくない変化も両方あった」というように見えただろう。それに対して無意識的ながらも賛同、容認、無関心、拒否などの反応があったはずだ。だが最終的には「敢えて混ぜたくない排他的勢力」が出てこなかったこともあり、「ドレッシング化」は秘密裏に成功し、現在の状態が完成したのである。



 ちなみに冒頭で紹介した駄チワワ氏はチグハグな立場となる。氏は近年のコスプレ文化について「今までと違う人種・今までと違う方法論が入って来てる」と言及しており、混ざってきたことを明確に認識している。ネットアイドルであるうしじまいい肉氏がコスプレイヤーの代表格として語られることや、人気コスプレイヤーをタレント的に押し出す風潮を良しとしていない。
 一方で写真作品を作ろうとするコスプレROM写真集やシェア撮影会、外部にコスプレ文化をアピール出来るショーイベントには、新たな可能性を感じるとして(一部問題を含むものの)受け入れようとしている。
 だがこれは同じ事象に対して表裏を別々に見ているに過ぎない。混ぜることの是非は表裏一体なのだ。「"残す"のは最大限に。"切る"のは最小限に。」というと聞こえはいいが、要するに「品物は欲しい、でもお金は払いたくない」と主張しているようなものである。二つが混ざる構図を認識しているのであれば、流石にワガママな主張であると言わざるを得ないだろう。

■Chapter.4 お互いのノウハウの輸出入現象

□異なる文化がお互いを補完する関係に
 二つの文化が意図的に混ぜられたという視点を踏まえ、何を混ぜたのか、なぜ混ぜたのか、どうやって混ぜたのかをここまで見てきた。次に解説していくのは混ぜたことで何が起きたかである。多くの人たちはこれを語るに当たって、実にネガティブな面だけに終始してきた。ここでは功罪の功の部分にスポットを当ててみたい。具体的に双方どのようなメリットがあっただろうか。
□ネットアイドルはどこへ行った?
 そういえば当時一世を風靡したネットアイドルたちはどこへいってしまったのであろうか。本書ではブームの後、結果的ネットアイドルと自称ネットアイドルに分化して衰退していったと書いたが、別にその人たちが物理的にこの世から消滅した訳ではない。さて、フェードアウトした行き先はどこだろうか。
 種明かしをすると2002年にはブログ、2004年にはmixiが登場したことが要因として大きい。これらにより個人が苦労して自分のウェブサイトを作る意義が薄くなってしまったのである。交流や日記、写真を見せ合うだけならば、上記のサービスで事足りてしまう。さらにファンコミュニティを作るならば当時mixiが最強に使いやすかったのだ。結果的ネットアイドルは「自分がネットアイドルであること」に拘る必然性はなく、皆mixiに移行してしまったのである。
 一方で自称ネットアイドルは「自分がネットアイドルであること」が重要であり、自分たちの枠組みが消えてしまうのは困る事態だ。「ネットアイドル」に代わる個人サイト活動の枠組みを求め、その一つがコスプレであり、コスプレ写真が掲載される個人サイトだったのである。
□表現志向に染まったコスプレイヤーたち
 意図的に混ざるように仕向けた仕掛けにより、コスプレイヤーたちの隣にコスプレもするネットアイドルがやってきた。お互い視線の範囲内に入るようになってきたのである。それにより何が起こっただろうか。

 多くの既存コスプレイヤーは異なる志向の人たちだとして気にも留めなかっただろう。しかし撮影会やROM写真集という概念や、それによる写真作品を作れるという事実が魅力的に見えたコスプレイヤーもいたのである。
 ファンサービスとして人に見せるためコスプレや、ROM写真集でお金を稼いだり売名したりすることに鼻白むこともあっただろうが、彼女たちのお陰で「イベントに参加するだけでなく、コスプレで外に向かって表現してもいいんだ」と気付くことが出来たのだ。これが「表現志向コスプレイヤー」誕生のきっかけであり、文化を混ぜたことによる最初の相乗効果である。
 「既存のコスプレイヤー」と「コスプレもするネットアイドル」の間に「表現志向コスプレイヤー」というワンクッションが出来たことで、表現志向を一概に拒絶する人も出にくい構造となった。そしてその境界線が保たれつつ、お互い文化や活動内容、ノウハウや情報などを共有するようになっていったのである。
□謝礼式の「モデル撮影会」から折半式の「シェア撮影会」へ
 コスプレイヤー側がネットアイドル文化から輸入したものはいろいろある。撮影会もその一つだ。
 撮影会のルーツはカメラ小僧というよりも、カメラ雑誌やカメラ店の写真教室が原形である。そこからアマチュアカメラマンが自分たちでモデル(芸能事務所にプレアイドルを派遣して貰ったり、レースクイーンに個人的に依頼したり)を雇って撮影会を開く文化が形成された。そのカメラマンたちがファンとしてネットアイドルのオフ会に顔を出すようになり、そこでネットアイドルが撮影会の存在を知り積極的に関わるようになっていったことが発端である。この間ずっと参加するカメラマンはお金を出し、被写体の女の子はモデルの仕事の謝礼としてお金を受け取る立場だった。1980年代から1990年代に掛けてはこの形態が一般的であり、むしろこの形態しか存在しなかったのである。
 ファンに撮って貰い更にお金も出してもらうというのは不思議に見えるかもしれないが、これは元から存在していた撮影会団体にネットアイドルもファンも後から関わる形態を取っていたからだ。撮影会団体からしてみればモデル(ネットアイドル)は労働者であり、参加するカメラマン(ファン)は撮影会サービスを受けるお客様というわけだ。撮影会団体は収支バランスを取るためにちゃんと参加者の集まる容姿と人気を持った女の子だけを選別して雇う。人気のあったネットアイドルはたまたま撮影会モデルの条件に合致していたに過ぎない。
 この撮影会文化がネットアイドル文化を経由してコスプレイヤー側にも渡っていった。正確にはコスプレイヤーを撮るカメラマンから「こういう綺麗な場所でちゃんと撮影出来る方法があるよ」「人が集まれば高いスタジオも個人で借りられるよ」と運営ノウハウとスタジオ情報が提供されていったのだ。
 撮影会が輸入されてくるに当たって、その運営方法にコスプレならではのアレンジが加えられた。コスプレは元々コミケの中で育まれてきた文化であり、そこにはコミケの理念である「全員が参加者であり、お客様は存在しない」という考えを継承している。趣味の非営利の活動である以上、撮影会に係る必要経費はコスプレイヤーもカメラマンも参加者全員で折半すべきという形に変化したのだ。これがコスプレイヤーのなかで今日行われている「シェア撮影会」である。近年これと区別するため既存の撮影会も「モデル撮影会」と呼ばれるようになった。
 余談だが、カメラ小僧の中でも最近この区別を理解していない人が出てくるようになった。コスプレ文化でのシェア撮影会から撮影を始めるようになったカメラ小僧が、コスプレもするネットアイドルに誘われてモデル撮影会に来ると「参加費が高い!ぼったくりだ!」と騒ぐのである。まぁそれはそれとして。
□AKB48式のROM写真集から、作品としてのROM写真集へ
 この他ネットアイドル文化から輸入されたものとしてROM写真集がある。前述の通り、これは地下アイドルの自作CDを売る文化をネットアイドルがROM写真集を売る文化にアレンジし、それがコスプレ文化、同人文化に流れてきたものだ。それまでのコミケでは写真をデータで売るという文化が存在しなかった。そもそもその場で中身を確認出来ないデジタルデータの同人作品の頒布はなかなか根付かなかったのである。
 ネットアイドルは自分のサイトに写真を載せる文化であり、またウェブサイトはサーバー容量や通信回線の都合上、たくさんの写真を載せることには限界があった。そのためオフ会ではブロマイドやポストカードなどの写真が手売りされるようになり、その流れで当時安価に制作出来るようになったCD-Rで写真データ集が作られるようになったのである。
 ただ、これがコスプレROM写真集としてコスプレイヤー側に浸透するまでは時間が掛かったようだ。制作ノウハウが流れてくるまでのタイムラグもあるが、それ以上にコミケ参加者側で買う人がなかなか増えなかったのだ。
 コミケでのROM写真集の頒布自体は主にネットアイドルによって2002年頃から行われていたのだが、当時はそのファンしか買っていなかった。ファンは中身の娯楽性にお金を出していたのではない。頒布スペースでネットアイドル本人と直接交流し、自分の好きなアイドルを応援するために買っていたのである。言うなれば握手会整理券が目的でAKB48のCDを買うようなものだ。ファン以外のコミケ参加者には実に不思議なマーケットに見えたに違いない。
 コスプレもするネットアイドルの写真集がほとんどだったところに、少しずつ中身で勝負をする表現志向コスプレイヤーが増えてくる。ネットやコスプレ専門誌の写真作品に触発されて完コス志向になるにつれ、写真表現の形態として既に行われていたROM写真集のサークル頒布方式を踏襲していったのである。娯楽性に堪えうるものが出るにつれ、徐々に一般の参加者も購買層となっていく。
 それに伴い、コスプレもするネットアイドル側は歳とともにフェードアウトするか、差別化を図るためにエロに傾斜していくのだが、それはまた別の話。
□ネットアイドルは「コスプレイヤー」を手に入れた
 衰退してしまった「ネットアイドル文化」はともかく、「ネットアイドルの概念に該当する人たち」はコスプレ文化から何を得たか考えてみよう。
 アマチュアレベルの物販活動の延長線上として、同人文化の販売フォーマットを手に入れたことは、ネットアイドル側が得たものの一つである。サイト上で通販をしたりオフ会で手売りしたりするのは大変な手間であり、また女の子の最低限の防御として、本名や住所を伏せながら個人でお金と物をやり取りすることに関しては非常に手段が限られていた。コミックマーケットの「アマチュアのための成熟した流通システム」は非常にありがたかったのだ。その反面、販路として利用する立場が故、同人の理念を踏まえずトラブルが多いのも確かである。
 また即売会は直接ファンと交流出来るオフ会的な機能も兼ね備えており、サークルとしてファン以外にアピール出来る機会でもある。ネットの偏った男女比が消え、女の子サイトの紅一点コミュニティが成立しなくなった今「ネットアイドルに該当する人たち」の活動拠点がウェブサイトから即売会に移ってきているのである。
 そして一番大きい収穫は「コスプレ」そのものであり「コスプレイヤー」という呼称だ。ネットアイドルつまり承認欲求に飢えた女の子はコスプレという要素で改めて人から注目される手段を得、タレント活動の出来る場が出来たのだ。
 新メディアの先駆者、時代の寵児としてのインターネットを駆使する女の子「ネットアイドル」はもう成り立たない。ネットを駆使する女の子は今や普通であり、その呼称は痛い人たちの代名詞となっている。だがコスプレは今以て輝き続けるジャンルであり、人々からポジティブに注目を集め、メディアやビジネスが取り合ってくれるものだ。
 要するにネットアイドルは「コスプレイヤー」の呼称を間借りすることで、「ネットアイドル」の痛いイメージ背負うことなく、コスプレアイドル(ネットアイドル)として活動することが出来るのである。これは「コスプレイヤー」が定義を限定しない包容力のある言葉だからこそ成せる技だろう。
 こうして双方の文化は、お互いに補完する関係となっていったのである。

■Chapter.5 分離も融合も不可能に決まってるじゃないか

□ドレッシングは水と油ではなく、一つの液体である
 以上がここ15年の間にそれぞれの文化で起こってきた事象である。本書はそれぞれの立場の人たちが何を考え、どう行動し、その結果どうなったかについて一つの体系的な解釈を提供するものだ。現在起こっている種々の問題に対してどうするべきかは割愛するが、議論の前提となる論点をいくつか整理してみよう。
 今回は物事を捉えやすくするために敢えて文化を分け、双方に個別の名前を付けて解説してきた。だが現実的には一度混ざったものを分離することは出来ない。区別して「彼らは異端」「私たちとは別の存在」と喧伝するのも馬鹿げているだろう。外からしてみればそのような違いなど知ったことではないのである。それに境界線は限りなく連続的であり、カテゴライズは内側から見ても無意味に等しいものだ。既に同一のものと見なされている以上、そこから出てきた都合の悪い事象もすべて身から出た錆といえるのである。清濁併せ呑み、無難な着地点を模索するしかない。
 刑法の問題を除けば、そこにあるのは「仲間内の交流だけで完結したい」「外に対して目立ちたくない」志向を持つコスプレイヤーと「コスプレで表現したい」「有名になりたい」志向を持つコスプレイヤー(ネットアイドル)の意識のすれ違いだ。要は「相手も同じコスプレイヤーだから、私と同じ考えを持っているはず」という前提でいるため軋轢が起きているのである。水と油の文化が見た目だけドレッシング状態になっていると考えれば、そもそも話が噛み合わないのは当然だ。
□コスプレもするネットアイドルは永久に不滅です
 この世から「誰かに認められたい」「私を見て欲しい」という女の子がいなくならない限り、目立つ活動をする「コスプレもするネットアイドル」は存在し続ける。現状では女の子に手軽に「紅一点コミュニティ」と「承認」を与えてくれるものがコスプレ文化とニコニコ生放送にしか存在しない。だからこそ、そこに人が集まってくるのである。
 結果として今日コスプレの世界では考え方の違いから様々なすれ違いが起こっている。場の維持のために辛抱強くマナーとルールを説いている人もいれば、場の維持よりもまず自分が生き延びる(承認を得る)ために必死な人もいる。相手が同じ志向性を持ち合わせていない限り聞く耳など持たないだろう。対話しようとするだけ時間の無駄である。
 相手の考えを変えることが出来るのは相手本人だけであり、自分の考えを変えることが出来るのも自分自身だけだ。状況を打開するためには自分が考えを改めるしかない。少なくとも相手方の志向性がどういう経緯で生まれ、どう展開してきたかを知ることで、お互いの考えで何が違うのかを認識出来るようになる。そこで初めて、相手を理解可能な存在として見ることが出来るようになるだろう。
□自分たちのことは自分たちでなんとかしな!
 近年コスプレROM写真集の問題を始め、撮影マナー違反、ビジネス化、人気ランキングと売名行為、著作権との兼ね合い、公共パフォーマンスの是非、ネットアイドルの流入、性の商品化など、軋轢や議論が起こるたびにコスプレ文化の危機が声高に叫ばれるようになってきた。だがこの程度の諍いで終焉を迎える文化ならば、とっくに消え去っていただろう。
 そもそも全体的に見渡してみれば、コスプレ文化の未来は明るいのである。15年前と比べれば閉鎖的な状況が無くなり、コスプレに関するサービスやクオリティも向上している。国際的に発信する動きもあり、今後も発展が見込める文化だろう。コスプレ人口はどんどん増え続け、それぞれの志向を持つ人も活動し続ける。単に摩擦熱で足下が炎上してるだけだ。
 とにかく混ざっちゃったんだからしょーがないじゃない。こんなときどうすればいいかって? 笑えばいいと思うよ。

■おわりに

 いかがでしたでしょうか。前回と打って変わって、評論としての体裁を整えた内容にしてみました。むしろ前回の痛さに筆者自身勝てる気がしなかったので、今回は評論の原点に「逃げた」とも言えます(汗。
 今回のテーマを書くきっかけとなった駄チワワ氏がCure寄りの文章を書いていたので、筆者はアーカイブ寄りの昔話をしてみます。
 皆様は「コスプレイヤーズアーカイブ」の前に「インターネットアイドルアーカイブジャパン(IIAJ)」というネットアイドルポータルサイトがあった(2000年から今も現存)のをご存知でしょうか。どちらも作っているのは同じ方です。
 IIAJはネットアイドルを支援するウェブサービスで、会員制掲示板、フォトストレージ、投票ランキングなどの機能を備えたものでした。ちなみに当初からランキングは不正投票とその対策のイタチごっこだったようです。
 そしてネットアイドルブームが下火になるにつれ、入れ替わるようにコスプレイヤーがIIAJに入ってくるようになりました。ネットアイドルのポートレート写真に対抗してコスプレ写真を次々投稿し、ネットアイドルランキングを侵略していくコスプレ無双が起きたのです。ちょうどmixiが登場した頃の話です。
 言い換えればIIAJのウェブサービスがネットアイドルよりもコスプレイヤーに必要とされていたのでしょう。仕切り直しとして、IIAJをベースに当時先進的だったSNS機能を取り入れた「コスプレイヤーズアーカイブ」が作られたことは極めて自然な流れに見えました。
 よく「アーカイブはSNSなのにオープン過ぎる」と言われていますが、これは元々ネットアイドル向けのサービスがベースとなっているからです。ランキングやレベル制に関しても、最初からコスプレイヤーが人気度の分かるインターフェースを欲してきた(故にIIAJに侵略してきた)経緯があります。ニーズに押された結果今のアーカイブとなっているのです。少なくともそう見えました。
 そんな訳で筆者の視点では二つが混ざっていく様子がリアルタイムに見て取れたのです。それと同時期にシェア撮影会やROM写真集がコスプレイヤーの間に広まっていったのでした。
 コスプレ文化の内側からの議論だけでは見えないものもあるでしょう。繰り返しになりますが、この外からの視点が議論の一助になれば幸いです。
 最後に謝辞を述べさせて頂きます。
 表紙イラストを描いて頂いた高崎かりんさん、お忙しい中お引き受け頂きありがとうございました。パンチラが見えそうで見えないようで数ピクセルだけ見える、みたいな意味不明な修正をお願いしてしまいすみませんでした(汗。
 棒人間と図解イラストのどっこいしょさん、「今回は図解が多いね」と言いつつわかりやすくユーモアのあるイラスト描いて頂きありがとうございました。あの特徴的な膨らみのある楕円、筆者にはどうしても描けないんです…。
 IIAJの吉田さんと90年代の地下アイドル事情に詳しいaxeさん、昔話を色々教えて頂きありがとうございました。筆者だけではネットアイドル文化の全体を把握することが困難でした。お二人の違う視点のお話、大変参考になりました。尚、本書はコスプレイヤーズアーカイブからの代弁ではなく、筆者独自の解釈を文章としたものです。立場は独立しており、本書の文責は筆者にあります。
 売り子(予定)の庶務部長さん…と、この文章を書いていて今初めて「そういえばまだ依頼してない!」と思い至りました(何。今から電話します。──快諾頂きました。連絡が遅れてしまいすみません(謝。
 編集と誌面デザインを担当して頂いているののさん、いつもお世話になっております。筆者もようやくDTP環境を揃えたのに、結局文章がギリギリになってお願いしている始末。次回こそののさんの負担を減らしたいなぁと思っております。本当ですヨ?(汗。
 現在カタログチェックをしながら原稿を書いていますが、3日目「男性向」ではエロコスプレROMが健在ですね。でも人の神経を逆撫でしてこそ世に問える作品となる訳だし、あれを受け入れることこそがコミケのマゾい使命ではないかと。要するに「いいぞ、もっとやれ」ということで。コスプレぱんぱん万歳!

2012年7月某日
喫茶店でのMacBook Proにて
よろず評論サークル「みちみち」代表 みちろう

■参考文献

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コミックマーケット準備会, 『コミックマーケット30'sファイル—1975-2005』, 青林工藝舎, 2005年
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別冊宝島358号, 『私をコミケにつれてって!—巨大コミック同人誌マーケットのすべて』, 宝島社, 1998年
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村松孝英, 『ネットアイドル―Muses@web‐site インターネットの女神たち』, 原書房, 2001年

■奥付

【誌名】カメラ小僧の裏話6 ネトアとレイヤー 水と油の関係
【発行年月日】2012年8月12日 コミックマーケット82 初版
       2012年12月31日 コミックマーケット83 第二版
       2015年8月14日 コミックマーケット88 第三版
【構成・執筆】みちろう
【イラスト】高崎かりん, どっこいしょ
【編集】のの
【誌面デザイン】のの
【印刷】大陽出版株式会社
【発行サークル】みちみち
【発行責任者】みちろう
【ウェブサイト】http://miti2.jp
【連絡先】circle@miti2.jp

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