よろず評論サークル「みちみち」

●カメラ小僧の裏話(全文無料公開)

『カメラ小僧の裏話』表紙

下記の文章は、2009年8月16日、コミックマーケット76で発表した『カメラ小僧の裏話』の全文です。(図解、挿絵除く)
図解、挿絵の入った完全版の冊子を希望される方は、ぜひ COMIC ZINによる委託販売 をご利用ください。
COMIC ZIN −漫画人のためのコミック・同人誌プロフェッショナルショップ COMIC ZIN のWEBサイト−

■はじめに

 この度は本書「カメラ小僧の裏話」を手に取って頂き、誠にありがとうございます。この本書は趣味として主に若い女性の撮影活動を行う「カメラ小僧」にスポットを当て、彼ら(正確には「我々」?)の特徴や行動をおもしろおかしく分析した評論本です。カメラ小僧そのものだけでなく、コスプレイヤー、フォトモデル、撮影会、コスプレ同人写真集など、それらを取り巻く人たちや物事についても言及しているので、これを読めば彼らの文化の一端が理解できることでしょう。

 本書は三部構成となっています。Chapter.1と2はカメラ小僧とフォトモデルのサークル活動の場である撮影会について、その不思議な運営の中身と今後の課題を前後編に分けて掲載しました。Chapter.3と4は「フィルムの頃から写真にのめり込んでいるカメラ小僧」と「現在のコミケットや秋葉原で群がるカメラ小僧」について、その違いや文化の変遷についての分析を前後編で。Chapter.5では今回の企画を支えて頂いたのの氏から寄稿として「コスプレ写真集」について写真表現の視点から、課題と現状分析の評論を掲載しました。

 注意点として、本書には批評的な厳しい表現も含まれています。一部の読者にとっては不快に感じることがあるかも知れません。飽くまで筆者の主観に基づいた文章であり、視点や価値観が異なれば違った見方もあるかと思います。予め謝罪すると共に、他者の意見の一つとして取り入れてもらえれば幸いです。

 前置きが長くなりましたが、どうぞお楽しみ下さいませ!ヽ(́ー`)ノ

2009年8月16日 コミックマーケット76にて
みちろう

■Index

はじめに
Chapter.1 撮影会ってどんなもの?(前編)
Chapter.2 撮影会ってどんなもの?(後編)
Chapter.3 カメラ小僧という人種 〜傾向と対策〜(前編)
Chapter.4 カメラ小僧という人種 〜傾向と対策〜(後編)
Chapter.5 なぜ「コスプレCD-ROM写真集」は微妙なのか?
おわりに
奥付


■Chapter.1 撮影会ってどんなもの?(前編)

 カメラ小僧の世界には撮影会というものがある。よくアイドルとかコスプレとかの写真を撮るあのイベントだ。この本を手に取っている読者は、撮影会に対してどのような印象を持っているだろうか。女の子を撮ることを趣味としてない人にとっては「そういうものがあってもいいのでは?」で終了かもしれない。では、ここはひとつそれを抜きにして、「あなたはカメラを持っている」という前提で次の質問をしてみよう。

「1回の撮影会、参加費がいくらなら参加してみたいだろうか?」

 もし「あ、かわいいな」と思う好みの女の子がいて、その女の子が撮影会にモデルとして出演していたら?
 コミケに来てこの本を手に取るような人のことだから、「好きなものにはいくらお金を出してでも!」という考えの熱い情熱の持ち主かもしれない(*1)が、よく考えてみよう。
 撮影会は1回の参加で全てが終了というわけではない。一つの撮影会でも毎週、毎月のように開催されている上、撮影会を主催する団体や個人はそれこそ無数にある。女の子が自発的に行う撮影会もある。
 そういうものに継続的に顔を出していくつもりなら、1回の撮影会に出せる金額は限られてくる。それこそ欲しい同人誌はいくらでもあるように、どこかで中身の価値と、提示された価格が割に合うかどうか考えるはずだ。(*2)
 ここでは撮影会にまつわるお金の話から、カメラ小僧の本音に迫ってみよう。

(*1 コミケなら普通だよね(ぇ。筆者も本屋で500円のマンガの購入に迷っても、コミケで1冊2,000程度の同人誌なんか何も考えず即決してしまう。)
(*2 本書では詳しい経済学の話はしないけれど、価格と価値は別物である。価格は売りたい人が示せる最低値の金額、価値は買いたい人が示せる最大値の金額。)
□3〜4時間で15,000円って高くね?
 ピンからキリまであるけれど、撮影会の参加費の相場は屋外で5,000〜8,000円。屋内では10,000〜20,000円という感じだ。(*3)もちろん売り出し中のアイドルの撮影会や、ヌードなどの特殊な撮影会になると金額は跳ね上がってくるが、一般的なポートレート撮影会やコスプレ撮影会だと大体その程度に収まる。
 要するに15,000円出すと3〜4時間女の子とスタジオ撮影ができる。撮影場所はハウススタジオといって、一般的な一軒家を丸ごと借りて自由に使える。そして男女比は大体3:1。モデル1人にカメラマン3人という感じだ。(*4)
 で、早速だけれどこの金額は高いだろうか?それとも妥当だと感じただろうか。
 実際のところ、筆者は最初「本当にこんなにかかるんかいな?」と思った。「主催者がサイドビジネスとして儲けているんじゃね?」とも。ここで少し詳しくシミュレーションしてみよう。

(*3 あくまで筆者の個人的な範囲での話。)
(*4 一見偏っているように見えるかもしれないが、カメラマンが写真を撮るときは実際に撮るフェーズと、構図を考えたりカメラを確認したりするフェーズがある。1:1では女の子が撮影時間の半分以上を持て余してしまうし、女性の比率が多いと誰にも撮ってもらえない女の子が出る。逆にカメラマンの比率が3:1よりも多いと女の子は絶え間なく撮影ポーズを求められるため、一息つくタイミングも失ってしまう。)
□15,000円では9人のカメラマンが必要だ
 撮影会での支出は撮影スタジオのレンタル料金と女の子への謝礼、雑費。収入は参加したカメラマンからの参加費となる。
 撮影用にハウススタジオとして貸してくれるところはたくさんあるけれど、ここでは筆者も利用することの多かったスタジオピア(*5)を参考にしてみよう。アイドルのグラビアやイメージビデオなどの商用でもよく使われるスタジオだ。
 例えば、南荻窪スタジオのレンタル料金(*6)は以下の通りとなる。

プライスリスト(税込)
     基本料金(3時間まで) 延長料金(1時間につき)
スチール 52,500円        13,650円
ビデオ  52,500円        15,750円

 こういうハウススタジオは日中の太陽光がないと撮影できないので、日が出ている時間帯での開催となる。90分×2部制というタイムテーブルにしたとして、集合、参加手続き、休憩、撤収作業モロモロを含めると、どうしても最低5時間は必要になる。
 だから上記の料金の場合、

52500+(13650×2)=79800

となり屋内で撮影会を行う場合、スタジオレンタル代として79,800円かかる。これはどうあがいても変わらない固定費だ。(*7)
 次に女の子への謝礼…といきたいところだけれど、先に外堀を埋めよう。
 一人15,000円の参加費の場合、スタジオ代をペイするだけでも5.32人必要になる。カメラマンは6人いればスタジオ代は払える。男女比3:1から考えると、モデルの女の子は2人いなければならない。(*8)その場合、彼女たち2人に渡せる金額は10,200円。一人5,100円。時給に換算して1,020円。深夜のコンビニでのアルバイトくらいか。
 …って、いやいや、違うぞ。女の子の手に渡るお金の中には、必要経費がある。交通費、食事代、それに衣装代、コスメ代、美容院代、体型維持費…etc
 どこまでが必要経費で、どこからが本人の消費かの議論はとりあえず抜きにしよう。撮影会は、カメラ小僧が、撮りたいと思った女の子を「選んで」、謝礼を出すからモデルをして欲しいと「依頼」する形態をとる。
 衣装なり髪型なり化粧なり、その価値を撮影時に活かすために必要なものはあるので、価値を感じてその人を選んでいる以上必要なものは依頼する側が負担するべきだ。美容院に行けば最低5,000円はかかる、化粧品も安くはなく、衣装なんて全身まともに揃えれば軽く10万は消えてしまう。
 こんなことを回りくどく説明なんかしなくても、撮影会などに出演するレベルの女の子に5,100円で撮影会出演を依頼なんかしたら、甘めに言っても「割に合わないので無理です」と断られるのがオチだ。ともをすれば今後ずっと無視されるかもしれない。いや、その前に口コミで悪評判が女の子ネットワークで広がるか。(*9)
 これでは撮影会は成り立たないので、モデルの女の子とカメラマン参加枠を増やして再シミュレーションしてみよう。上記では書き忘れてしまったけれど、実際は主催側も準備にお金が掛かる。ついでに撮影会自体の諸経費として5,200円程度考慮しておこう。(*10)

case1
女の子3人、カメラマン9人、の場合
収入…15000×9=135000円
スタジオ代…79800円
135000-79800-5200=50000円なので、
女の子一人当たり…50000÷3=16666円

おおお、なんとかいけそう?

 じゃ、もう少し変えてみよう。そもそも参加費15,000円は相場でも高額な方だ。もしかしたら多くのカメラ小僧は高く感じて二の足を踏むかもしれない。これを12,000円にして成り立つバランスがあるかどうか確認してみよう。
 このままだと

case2
女の子3人、カメラマン9人、の場合
収入…12000×9=108000円
スタジオ代…79800円
108000-79800-5200=23,000円なので、
女の子一人当たり…23000÷3=7666円

これでは厳しいので更に人を増やそう。

case3
女の子4人、カメラマン12人、の場合
収入…12000×12=144000円
スタジオ代…79800円
144000-79800-5200=59000円
女の子一人当たり…59000÷4=14750円

これで先ほどと大体似たような結果に。ただ、採算ラインが12人というのは主催としてみれば結構冷や汗モノだ。もし9人しか来なかったらそのまま36,000円の赤字となる。
 このように、撮影会の主催側は常に万単位での収支のブレがあり、赤字になれば自腹を覚悟しなければならない。(*12)

(*5 ハウススタジオ-スタジオピア http://www.studio-pia.com/)
(*6 スタジオピア[9・南荻窪スタジオ] http://www.studio-pia.com/studio/09/index.html)
(*7 場所によってはたまに割引キャンペーンとかはある)
(*8 実際のところ女の子2人カメラマン6人では、スタジオが広過ぎてスペースを持て余してしまう。
というか、閑散とした雰囲気になってしまう。)
(*9 人柱になったカメラ小僧は数知れず…。)
(*10 200円は計算の便宜上なだけで深い意味はないです。)
(*11 ハウススタジオ-スタジオピア[Wキャンペーン] http://www.studio-pia.com/search/event/w/index.html)
(*12 赤字もあれば黒字もある…と言いたいところだが、大抵儲け過ぎると高い参加費を払っているカメラマンから批判が噴出し、その分は参加費値下げの形で還元を要求されることが多い。基本的に撮影会主催はあまり儲からない。ビジネスとしてやっている人、よくやってるなぁ…。)

Note
 もう少し極端なケースを想定してみよう。屋内参加費では最安値レベルの10,000円はどのようすると成り立つだろうか?この際最初から割引キャンペーン対象のスタジオを使うことにし、今まで変更しなかった男女比にも手を加えてみることにする。スタジオピアのWキャンペーンでは基本料金が掛からず、1時間のレンタル料金が13,650円となる。(ただし最低3時間以上の利用が必須)
 この場合5時間借りるとすると、

13650×5=68250円

となりスタジオ代を11,550円節約できる。
10,000円の参加費ではスタジオ代をペイするのに7人必要で、モデル謝礼を捻出するにはさらに参加者を募らなければならない。男女比3:1という条件で連立方程式を解くと、女の子5人、カメラマン15人という数字になる。

case4
女の子5人、カメラマン15人、の場合
収入…10000×15=150000円
スタジオ代…68250円
150000-68250-5200=76550円なので、
女の子一人当たり…76550÷5=15310円

採算ラインが15人というのは流石に無理がある。それに総勢20人というのは1人で管理するにはギリギリのラインだ。万が一トラブルが起こると収集が着かなくなる恐れもある。
 ここは思い切って男女比を4:1に変えてみよう。そうすると女の子3人、カメラマン12人の総勢15人で成立させることが出来る。

case5
女の子3人、カメラマン12人、の場合
収入…10000×12=120000円
スタジオ代…68250円
120000-68250-5200=46550円なので、
女の子一人当たり…46550÷3=15516円(余り2円)

これで12,000円での均衡と同様の結果となる。しかも、仮にこれで参加者が9人しか集まらなかったとしても赤字は30,000円となり6,000円損失を圧縮できる。だがこれは撮影環境を犠牲にして話を進めている部分があり、賛否の分かれるところである。
□撮影会だって、長く続けていくためには利益の出る経営が必要なんすよ
 参加するカメラマンからしてみれば、基本的に主催が赤字になろうが知ったことではない。むしろ参加するカメラマンの数が少ない方が、女の子と対面できる時間も増えるのでオイシイといえる。(*13)
 ただ毎回赤字を出し続けていれば撮影会を継続的に開催できなくなるので、当然主催側は収支のバランスが取れるようにすることを考える。
 撮影会の主催にしてみれば、毎回これは自分の財布を賭けたギャンブルなのだ。女の子にモデル出演を打診し、スタジオを押さえたり公園の使用許可を取ったりし、一日の流れとタイムテーブルを組み、企画書を書いてカメラマン向けに公開する。主催側にとっては募集が埋まるかどうかで赤字黒字が決まるので、撮影会本番よりもこの募集期間で一番神経をピリピリさせることになる。
 また、予め赤字のとなってしまった回は赤字の回で割り切ることも必要だ。出演する女の子によっては参加枠が一瞬で埋まる回もあれば、なかなか参加カメラマンが集まらない回もある。一部の撮影会にはもう最初から回ごとに浮き沈みがあるものと割り切って、長期的に収支のバランスが取れれば良いと考える向きもある。(*14)
 毎回収支トントンとなれば理想的だけれど、たまに発生する赤字の回のリスクヘッジとして確実に黒字の見込める回に参加枠を多めに設定して運営資金を確保しておくことも、長く撮影会活動を継続していく為に必要なことである。
 先ほどのシミュレーションではその辺の長期積み立てについて一切考慮しなかったが、実際は何とかやりくりして少し利益が出るように設定しなければならない。

(*13 一番オイシイのは男女比1:1の状況だけれど、実際撮影会で一対一になると、構図を考えているときやカメラを確認しているときなど、間が持たなくてツライものだ。)
(*14 年間予算を組んで計画を立てている堅実な運営の撮影会もある。というか長くやってると税務署にマークされるんだよね。当たり前だけど。)


■Chapter.2 撮影会ってどんなもの?(後編)

□人気の女の子には、やっぱ追っかけカメラマンがいるよね(汗
 コミケのコスプレ広場では、キレイなコスプレイヤーのまわりにカメラ小僧の人だかりができるけれど、撮影会でもそれは同じだ。(*15)
 キレイな女の子が出演する撮影会は自動的に人気の撮影会になる。撮影会モデルもコスプレイヤーもあちこちの場で何度も活躍していると、女の子とカメラマンの間で次第に顔見知りになる。カメラマンにしてみれば、知らない女の子よりも知っている女の子の方が、コミュニケーションが取りやすく、撮影もしやすくなるものだ。自動的に人気の女の子をカメラマンが追っかける現象が発生する。
 主催者もそのところは熟知しているので、女の子の後ろ側にいる追っかけカメラマンが参加することをある程度期待して企画を立てる。
 人気コスプレイヤー(フォトモデル)を撮影会で起用すると、すぐに参加枠が予約で埋まってしまうこともよくある。15人枠が一晩でカンストすることも珍しくない。(*16)主催にとってみれば万々歳だ。
 だが市場経済というものは無慈悲なもので、人気のある女の子はあちこちから引っ張りだこになってしまう。需要が多ければ当然価格も上がる。同時に複数から依頼されれば、様々な要因はあれど金額の大きい方に決まるのが世の常である。
 実際は女の子本人との露骨な価格交渉などはあまり無く、囚人のジレンマのような構図(*17)で人気モデルの市場価格が上がっていく。それに一度高い金額で引き受けてしまうと、トラブル防止のために他の所で安請け合いできなくなるものだ。(*18)
 そういうわけで、人気のある女の子を撮りたいとなると、需要に応じた謝礼を支払える撮影会に出向くことになり、そうしたところは参加費が比例して高くなるか、参加人数が多く男女比の偏りが大きい環境となることを覚悟する必要がある。(*19)

(*15 コスプレイベントのカメラ小僧は、本当にハイエナのような行動を取る。コスプレ広場が終了時間間際になってレイヤーさんの数が減少すると、ギリギリまで残っているレイヤーさんのところに本当にダッシュで「群がる。」筆者もカメラ小僧の中の一人なので、同属のこのような行動を見るとゲンナリするのだけれど。)
(*16 その昔、まだ撮影会という形態のイベントが数少ない頃にはウェブサイトでの募集開始から1分で満員御礼という時代もあった。)
(*17 競争入札とは少し違う。主催は女の子の謝礼相場がわからないときは大抵本人に聞いてしまうからだ。女の子も引き受ける(ラインの最低)金額をすんなり教えてくれる。だが、今後も継続して撮影会に出てもらえるように良好な関係を維持したいと思えば、やはり主催はその金額よりも少し多めの謝礼で依頼してしまう。)
(*18 一部の女の子も実は何も考えていなかったりするので、ある撮影会では普通に謝礼を貰って引き受けて、別の撮影会では友達がたくさん来てて本人が出たいからロハで引き受ける、なんてことをしちゃう人もいる。主催者間トラブルと派閥形成の元だ。配慮のある女の子は自分で撮影会を企画したりする。)
(*19 男女比5:1で参加費10,000円のところや、男女比3:1で参加費25,000円のところなど。)
□ビアンカか、フローラか、それが問題だ
 また、いくら人気のある女の子に付いてくるカメラマンがいるとはいえ、そのカメラマンは何もその女の子一人だけを撮っている訳ではない。彼らは女性ポートレートを趣味としている以上、手広くいろいろな女の子を撮っているし、撮りたい女の子は他にもたくさんいる。(*20)
 同じ日、同時に複数の撮影会があり、どちらにも目当ての撮りたい女の子が出演している場合はどうするか?例えば上戸彩と堀北真希がどちらも同じくらい好きで、どちらも別々の撮影会をやっているとしてそれらが見事に重なってしまった場合アナタはどうするだろう?
 そこはやはり断腸の思いでどちらかを選ぶのではないだろうか。(*21)

 誰にだって優先順位はある。カメラ小僧の心の中でも、究極的なところでは撮りたい女の子の序列がある。女の子が何人かいれば、男は無意識に「一番好みなのは誰か」を判断してしまう冷徹な生き物だ。行きたい撮影会がバッティングしていればより撮りたいと思う女の子が出演している方に行くだろう。(*22)
 前節の話とも重なるけれど、撮影会ではやはり女の子の人気度が重要な要素となる。人気度を細かく分解すると、容姿、スタイル、性格、知名度、衣装、ポーズ引き出しの多さなどいろいろな要素によって決まってくる。(*23)
 はっきり言ってしまえば同じキレイな女の子でも、カメラマンを集められる女の子と、集められない女の子がいる。(*24)当然撮影会では前者の方が重宝されるし、モデル出演依頼も殺到する。謝礼も自然に高くなっていくだろう。
 同じ回の撮影会にモデルが複数出演する場合でも、当然それぞれへの謝礼の金額が異なることはよくある。ただ公になるとそれなりに関係がギスギスするので、基本的には主催は本人以外に明かすことはない。(*25)
 どんな撮影会でも女の子が複数出演していれば、どうしても人気に序列ができてしまう。男女比3:1なんてのは本当に理想で、たとえ女の子3人、カメラマン9人の撮影会でも人気のある女の子にカメラマンが集中したりすると、それぞれの男女比が7:1、1:1、1:1みたいな状況になることもある。だがこれはどうしようもないとしか言うしかない。一応主催から「カメラマンは譲り合って満遍なく撮りましょう」とアナウンスはするけれど、ふたを開けてみるとカメラマンは目当ての女の子のまわりへと自然に集まっていく。
 女の子を孤立させまいと満遍なく回る紳士なカメラマンもいることはいる(*26)が、男女比で男性であるカメラマンの方が割合が多い中一人ぽつんと取り残されてしまう様は、なかなか辛いものがある。現実を目の当たりにしてショックで泣き出すようなケースはそんなにないのだけれど。(*27)

(*20 普通にカメラ小僧をやってると、撮りたい知り合いの女の子なんて50人にも100人にもなる。「知り合い」ではなく「こちらが知ってる」だけかもしれないが…。)
(*21 断然堀北だよね。え?違う?うそーん。)
(*22 二つの撮影会にわずかでも時間差があれば、二つとも行くという猛者もいる。)
(*23 一番重視されるのは実は一般常識の有無という話も。)
(*24 あくまで撮影会の上でのモデルとしての商品価値であって、別にその人本人の人間的な魅力とは
別の話だけれど。)
(*25 女の子の間ではこっそり金額ぶっちゃけトークが…あるわけないか。)
(*26 カメラマンにとって見れば1:1でじっくりコミュニケーションを取りながらゆとりを持って撮影
できるので、こういう女の子狙いにもメリットはある。)
(*27 そうなったら露骨な企画を立てた主催の責任です。)
□モデルは何歳からモデル??何歳までモデル??
 人気の女の子が注目を集めるのは良いとしても、一つ無視できない問題がある。長期的に撮影会を続けていれば、女の子も毎年歳を取るということだ。
 女性の魅力は必ずしも若さだけとは言わないし、経験を重ねれば大人の魅力も育つものだけれど、現実問題として、女の子は就職や結婚などの門出を期に撮影モデルやコスプレイヤーを引退してしまうことが多い。
 ただでさえ二十歳前後の女性は環境がめまぐるしく変わることが多く、まわりや本人が活動継続を望んでいても、引越しで離れてしまったり土日になかなか時間が作れなくなってしまえば、最前線での活躍は難しくなる。
 カメラ小僧の方はというと、基本的にカメラ小僧になった時点で既に働いている人が多く、休日に参加という形態で動いているので、結婚でもしない限り環境が劇的に変わることは滅多にない。参加する男性カメラマンの顔ぶれは時間が経っても変化が少ないのに対して、出演する女の子はめまぐるしく卒業や引退してしまう格好になる。
 人気のある女の子もその何割かは当然その中に加わるので、いつも同じ顔ぶれの女の子を撮影会で起用し続けていると、2〜3年で依頼できる女の子がガクンと減ってしまう。そこで撮影会が取り組まなければならないのが新人発掘と育成となる。
 新人発掘はいろいろなパターンがあるが(*28)、主催者が自前の撮影会のウェブサイトなどでモデルを募集するのが一般的だ。ある程度まともに運営を続けていれば、女の子ネットワークの口コミ評判でモデル応募がやってくるので、主催者が個別に面接を行い適性を判断して採用する。
 まぁ…一般論で話すけれど、本当に失礼で申し訳ない話なんだけど、モデル志望の女の子の立候補から当たりを引く確率は、低い。
 撮影会で参加者を募集してもカメラマンが集まらなければそのまま主催者が赤字を自腹で背負うことになるので、第一印象として外見の良し悪しの判断はやはりシビアにならざるを得ない。
 筆者自身の非努力家なことを完っ全に棚に上げて言うけれど、容姿なんか極端に配置が悪くなければ努力でなんとかなるものである(*29)し、スタイルもダイエットしたり運動したりすれば自然に良くなる。撮影の被写体になりたいんだったら、当然その努力は惜しまないはずで、もう既に実践してるはずである以上、モデル募集の面接に来る時点でそれは完成してるはずだよね、という努力重視の視点で見てもやはり残念な人は多いようだ。
 それ以上に問題なのは、若ければ若いほど若いということ。女の子が10代後半だったりするとまだ社会に揉まれた経験に乏しい場合が多く、有り体に言えば社会常識が通じない。人とお金が動くのに遊び感覚。集合には遅刻。約束は平気で破る。連絡が取れなくなる。キレる。泣く。etc…。(*30)これらは未熟が故のことであり、こちらが怒っても仕方がない。10代とはそういうものだ。(*31)早熟で物分りがよく大人の対応ができる人を根気良く探していくしかない。

(*28 一般募集以外で採用が多いのは、既にモデルをやってる女の子からの紹介。モデルやコスプレイヤーの女の子ネットワークはとても有効です。次に参加カメラマンがイベントでスカウトしてきちゃうパターンも多い。)
(*29 人の顔ってよーく注目してみると、中心部の目、鼻、口の配置で男女差はない。男っぽい顔つきの女性でも、髪形や化粧次第で十分美女になる。これホント。逆に言えば、男だってスタイルの改造や髪型や化粧次第で…。)
(*30 面接で採用しても、撮影会を平気でブッチ&以後音信不通…なんて女の子はたまーに見かける。参加カメラマンはそういうものだと割り切っている人が多く怒る人はそういないけれど、主催は脂汗タラーリだろうなぁ…。)
(*31 筆者だって高校時代はそんなもんだった。高坊に余裕持って30分前行動しろなんて無理ですよ。)
□撮影会が毎週行われている理由→モデルのローテーションが回らないよ
 無事新人の女の子が撮影会でモデルデビューを果たしたら、次は人気モデルになれるよう育成していく必要がある。
 デビューの時点で十分モデルの素質はあるけれど、多くのカメラマンと親しくなって知名度を上げていったり、撮影の場数を踏んでポーズの引き出しを増やしていくこと、大胆に自分を演じられるようになることで人気度を高めていくことになる。
 ただ、最初は無名でモデルも下手なので、新人単体で募集しても殆ど参加者は集まらない。新人に魅力がないのではなく、知っている女の子と知らない女の子どちら撮るかとなると、カメラマンは前者を選んでしまうのだ。
 新人だけの撮影会で参加費自体を安くするという方法もあるけれど、それより安全なのが一般的に撮影会でよく行われるのは既に人気の女の子とセットで開催するやり方だ。確実にカメラマンも集まり、新人と知り合うきっかけにもなる。
 ただこれにも弊害がある。新人の女の子が場数を踏まなければならない以上、撮影会にはできるだけ多く出演させなければならない。今まで出演していたベテランや人気の女の子もいる。彼女らにも今まで通りのペースで出演させて上げなければいけない。彼女らが目当てでカメラマンは撮影会に集まってくるからだ。新人と特定の人気モデルばかりの撮影会になると、特定のカメラマンしか来なくなり継続が先細りになってしまう。
 モデルの女の子にとって見れば、毎回の謝礼による収入は決して少なくない。毎週土日あちこちに出演すれば、大学生の生活費程度にはなるので、趣味と実益を兼ねてモデル活動やコスプレ活動をしている人もいる。ただ、撮影会へのモデル出演は厳密にはアルバイトではなく主催者と雇用契約を結んでいる訳でもないので、出演機会の保障も収入の補償もされないのがこれまた難しいところ。
 結果的に撮影会側の経営の都合と、出演してくれる女の子への配慮の気持ちから、ほぼ毎週土日に撮影会が開催されるという状況が発生する。
□こんな状況で今後どうなるんかいな??
 誰にとっても悪い話ではないのだけれど、実際には毎週のべ参加枠が埋まるほど、撮影会にやって来るカメラマンは多くないのが現実だ。
 さらに、今はこのような撮影会団体がたくさん存在する。ウェブサイトなどで公に参加者を募集するものもあれば、女の子や有志のカメラマンが突発的に企画を行うこともあり、中にはミクシィなどで内輪で声を掛け合ってひっそり行う非公開のものもある。どれも10人前後のカメラマンを集めて行うことには変わりはない。このような状況が続くと毎週大抵どこかが定員割れを起してしまう。(*32)
 それに土曜日万単位で散財したら、日曜日は支出を抑えようと普通考えるものだ。カメラマンのお金は基本的に出て行くだけなので、毎月使える金額に限度がある。加えて昨今の金融危機による不況では、カメラ小僧の多くを占める働き盛りの独身男性でも、残業はいくらか減っただろう。ますます趣味に使えるお金は減っているはずだ。
 このように書くと撮影会自体が供給多寡の状況とも言えなくもないけれど、前述の通り撮影会の参加費は収支バランスの構造上なかなか下がりにくい。というか下がらない。(*33)
 実際このままいくと今後どうなるのかなと思う部分もあるけれど、開催頻度を減らすなり、段階的に規模を縮小するなりするかもしれない。ビジネスであれば採算が合わなくなる時点で撤退を考えるけれど、撮影会はもともと金銭的な利益のためにやっているのではなく、趣味の活動と交流の場の提供のために有志が行っているサークル活動である。恐らくこの分だと有志が意地で限界までやっていくのであろう。(*34)
 撮影会とは、女の子が女性的な魅力と愛嬌と楽しい時間を提供し、主催者が段取りと進行とトラブル対処を提供して、カメラ小僧が運転資金を提供することで成り立っている。たまたま時代や色々な要素が奇跡的に重なってバランスが取れていたものが、時間が経って傾いてきた…ように見えなくもない。
 あまりこんな感じの結論に持っていったら、現在精力的に活動されている方々に申し訳ないような気持ちにもなるのだが、一つの時代の終焉が近づいているのかもしれない。。

(*32 昔は毎月1〜2回のペースの撮影会が一般的だったような気がする。毎週やるところもあったけれど。)
(*33 そういえば、参加費がデフレしているところを見たことがないな…。)
(*34 もしくはあえて高い参加費を設定することで市場と差別化し、持続可能なバランスを作るという方法もある。その場合は資金力のある人たちだけのお金の掛かる趣味となってしまうが、それだけ意識の高い人だけが集まり、マナーの悪いカメラマンを寄せ付けないメリットもある。もともと撮影会自体はお金の掛かる趣味であり、本来のマイナーな活動形態に戻す方法といえるかもしれない。)

■Chapter.3 カメラ小僧という人種 〜傾向と対策〜(前編)

 カメラ小僧──という言葉を聞いて、読者はどのようなイメージを持つだろうか?
 この本をコミックマーケット(以下、コミケット)で手に取っている以上、少なくとも会場内で直接彼らを目にしているはずだ。コスプレ広場に足を運べば、コスプレイヤーの数倍の割合で大きなカメラを持ち歩いている「コスプレをしていない男性」がたくさんいる。またモーターサーキットではレースクイーン目当てのカメラマンが陣取っており、またイベントショーなどの会場ではコンパニオンを撮って回るカメラマンがいる。あまり一般の目に映らないところでは、アイドルイベントや撮影会、オフ会やコスプレイベントに足を運ぶカメラ小僧がおり、中には自分で企画を立てて女性と一対一の個人撮影をするカメラマンもいる。(*1)
 一般の人の中では、「カメラ小僧」が指し示す人種についてあまり良いイメージを持たれていないかもしれない。特にコスプレ広場では度々「さいと(*2)」などで盗撮(無断撮影)、エロポーズ強要、ネットや雑誌への無断転載、長時間の撮影による拘束、大勢での囲み撮影、連絡先をしつこく聞いてくるなどの「迷惑な存在の代表格」という位置付けで注意と警告が繰り返されている。
 しかし、それらはあくまで「一部のマナー違反者(あるいは犯罪者)」が作り出すマイナスイメージ像であり、迷惑な人たちとは別に目立たない大多数のカメラ小僧が存在する。彼らのような撮影活動をまわりから許容され、中には尊敬されているカメラ小僧がいるということを果たしてイメージできるだろうか?
 篠山紀信も元はと言えばカメラ小僧と呼ばれていたし、10〜20代の頃にカメラ小僧をやっていたことがきっかけで、現在プロの写真家として活躍している人も大勢いる。彼らと現在コスプレ広場にいるカメラ小僧は同種の存在なのか、違うとしたらどのように違うのか、読者は明確に答えられるだろうか?
 カメラ小僧に対する肯定的なイメージのしにくさと、写真家へのステップという位置付けの違和感のナゾに迫ってみよう。

(*1 実は「カメラ小僧」という言葉の定義は厳密に決まってはいない。女性を撮る撮影活動に「独特のオタクっぽさ」が加わると皆そう呼ばれているようだ。蔑視として扱われることも多いが、趣味の説明として自称している場合もある。人によって捉え方が異なることからWikipediaの「カメラ小僧」の項目などでは、度々編集合戦が繰り返されてるようだ。その結果現時点のWikipediaの記述では、双方の言い分を取り入れたなんともちぐはぐな文章となっており、あまり実体を反映したものとは言い難い。本書では「女性を撮る活動を趣味としている人」というニュートラルな意味で使用していく。)
(*2 「さいと」とは、コミックマーケットのコスプレ広場入場口でコスプレをしていない参加者に配布される撮影者向けのリーフレットで、主に広場内でのルールとアンケート情報が載っている。現在のところコスプレイヤー、撮影者、準備会三者間の意見交流を図る唯一のメディアでもあるが、残念ながらマナー悪化の歯止めとしてはあまり効果が上がっていない。本来は青=マナー良好、黄=注意喚起、ピンク=警告&このままだと撮影禁止の恐れあり、という具合に冊子の色で「現在の警告の度合い」を表していた。残念ながら一度も青冊子になったことはなく、コミケット57以降ずっとピンクのままであり、マナーの非常に悪い状態が続いている。昔はそれでも黄色だったんだけどなぁ…。)
□昔は撮れば撮るほどお金の掛かる趣味だった「カメラ小僧」
 今のカメラ小僧の状況を理解する為に、まず昔のカメラ小僧の環境に着目しよう。昔といっても、カメラが高過ぎて趣味のために購入できなかった時代の話をしても仕方がないので、デジタルカメラが登場する少し前の90年代を振り返ることにする。(*3)
 この本の読者の中に10歳未満の子どもは恐らくいないだろうし、読者の多くはデジカメが普及する前にフィルムカメラが一般に使われていた時代があることを知っているはずだ。そして当時写真を専門的に扱っていなかった人だとしても、一度や二度は旅行や何かの記念でフィルムカメラの撮影をしたことがあると思う。
 少し思い出して欲しいのだが、デジカメの普及する前である90年代に撮影してから写真に仕上げるまでいくらくらいのお金が掛かっただろうか。少々価格差があったとしても大体以下の通りで異論はないだろう。

27枚撮り35mmネガフィルムを購入する料金…約500円
撮影後DPE店に持って行き、フィルムを現像する料金…約500円
現像したフィルムをL判サイズ(*4)にプリントする料金…約35円×27枚=合計1945円

税込みでフィルム1本分の写真が約2,000円、1枚当たり70〜75円かかる計算だ。(*5)
 要するにカメラを構えてシャッターを押す度に、脳内でチャリンチャリンと音がして最低でも70円ごと課金されていく。普及型のネガフィルムでは70円でも、高級ネガやリバーサルフィルムでは1枚撮る度に100〜150円という金額となる。(*6)フィルム5〜6本で200枚撮影すればすぐに20,000円前後は掛かってしまう。デジカメが登場する前はこれが当たり前だった。
 もちろんカメラ本体も今のデジカメと同じくらいの価格がする高価なものであり、一眼レフであればレンズも今と同様高いお金をかけて揃えなければならない。
 つまりデジタルカメラが登場する前のカメラ小僧活動はとてもお金がかかる趣味だったということだ。今のデジタルのように、カメラとレンズ、パソコン環境を一度揃えれば何万枚規模で撮影でき、1枚あたりの単価を限りなくゼロにできるような状況ではなかった。その上フィルムではデジタルのようにその場で確認はできず、失敗しても削除することはできない。今の撮影が成功したか怪しかろうが、見事に失敗しようが、1回シャッターを押すごとに確実に自分の財布から100円が消えていく…。(*7)
 このことから、フィルム時代の写真撮影は自然と1枚1枚を丁寧に撮影せざるを得ない状況であったと言える。漠然と撮り始めてはお金を無駄にしてしまうので、たとえ趣味の撮影であっても、始める前に「どういうものを撮りたいか」「どうしたら確実に撮ることができるか」「いつ、どこで、どのタイミングで」ということを考えるのが普通だった。少なくとも撮影は事前の思考とワンセットだったのである。

(*3 もちろんカメラ小僧は80年代頃には既に存在していたし、デジタルカメラの登場前にも大きな変革は度々あった。一眼レフカメラの登場、カラーフィルムの登場、ズームレンズの登場、写ルンですの登場、オートフォーカスの登場、…etc。だがこれらは、基本的にカメラ小僧の活動形態を大きく変えるものではなく、また筆者も正確な昔の話は書けないのでここでは割愛したい。1950 年代から1990年代にかけてのマニアックな話を読みたい人は、サンダー平山氏の本をお薦めしておく(汗。)
(*4 L判とは、89mm×127mmのサイズのプリントのこと。DPE店で出してくれる整理し易い手の平サイズの写真。印刷の分野ではA4やB5のような用紙の基準サイズがあるが、写真の分野では四切、六切、キャビネ判(八切)、L判(八切の半分)というように全紙の印画紙を基準にしたサイズが存在する。)
(*5 あくまで一般的なミニラボでの価格である。東京では駅前とかに小さい店舗の現像店があると思う。あのようなコンビニエンスストア形態の現像所をミニラボという。それとは別に、画質優先で個別対応や手動現像をしてくれるところをプロラボという。丁寧に写真を仕上げてくれるが、その代わり高くて時間が掛かる。)
(*6 例えば2004年には、富士写真フィルムから期間限定で「フォルティア」という極彩色の超マニアックなリバーサルフィルムが発売された。確か5本セットで5,500円だったと思う。ちなみにリバーサルフィルムの現像は大抵1,000円ほどかかり、プリントも一枚約100円から。現像時に各1枚同時プリントなんてことは、お金が掛かり過ぎるので普通はしない。)
(*7 フィルム撮影はその場で確認することができないので、撮影に成功したかどうか怪しい場合は念のためもう一枚撮影することになる。)
□カメラ小僧がお金を出して写真を撮り続ける魅力とは?
 お金が掛かるという制約がある以上、カメラ小僧は漠然と写真を撮っていた訳ではなく、そこに何かしらコストを支払ってでも撮りたくなるような理由が存在していたはずだ。フィルム時代のカメラ小僧について、何が彼らを情熱的に撮影へ駆り立てたのかを考えてみよう。そのカメラ小僧を始めた動機の部分である。
 動機として考えられるのは主に以下の二つである。

・展示や雑誌投稿など発表するための作品を作ったり、腕を磨くために日々撮影をする。(表現活動)
・撮影活動を通して人との交流を広げていく。特にポートレートでは女性と出会う機会を創出することが出来る。(コミュニケーション活動)

 カメラ小僧は各々様々な考えで撮影しているだろうが、動機は大きく分類すると上記のどちらかと言えるのではないだろうか。それぞれ「写真家要素」「サークル活動要素」という二つについて、動機の特徴を確認してみよう。
□A)「写真家要素」…貴様それでも軍人かっ!歯を食いしばれっ!
 これは「どうせ撮影はお金が掛かるのならできるだけ上手な写真を撮りたい」という考えに基づく動機の要素である。これ強いカメラ小僧は硬派といってもいいかもしれない。撮影の腕を上げること、いい作品を作ることが主な目的で、作りたいもの、目指したいものが明確で表現に対しての意識が高く、自分の世界を持っているといえる。写真好きが高じてカメラ小僧になる典型のパターンとも言え、冒頭で書いたカメラ小僧が講じてプロになってしまう者も一部に存在する。
 このようなカメラ小僧は成長するにつれいい写真を撮れるようになるタイプだが、反面ストイックな姿勢もあり、そして撮影に協力してくれる女性にも、モデルとして高いレベル(演技や自覚)を要求する人当たりの厳しい側面がある。(*8)これはもちろん撮影が上手くなりたいカメラ小僧や、いい写真を残したいモデルの女性にとってはプラスの刺激があるものの、その厳しさに付き合いきれないという人間関係のいざこざを生む火種も持っているといえよう。

(*8 モデルの女性の表情を引き出すために和やかな雰囲気作りを心掛けるカメラ小僧もいる。必ずしも全員が厳しい言い方をする人間というわけではないので念のため。プロのグラビアカメラマンともなると、そのアメとムチの使い分けはヤクザ並みに上手かったりすると言ってみるテスト。いや、底辺カメラ小僧である筆者の勝手な妄想ですよー(棒読み。)
□B)「サークル活動要素」…まーまー!ここは日本的馴れ合いでまぁまぁ!
 こちらは上記とは対照的に、「せっかく趣味の活動としての写真を撮るのだから、みんなで楽しくやっていこう」と目的で人を集め、コミュニケーションの場を形成しようとする考えである。軟派な動機ともいえる。写真を撮るという理由を作ることで交流のきっかけを作り、人の輪を広げていく。カメラ小僧もモデルもそれぞれ自分の役割がはっきりしているので、誰でも気軽に楽しく関わることが出来る。撮影会などの集まりでは打ち上げもあるので、仲間同士仲良くなれる機会も多い。
 その代わりこちらの動機が強いカメラ小僧に多く見られる欠点は、いい写真を撮る為にストイックになりきれないということだ。本当に面白い作品を作るにあたって、仲良しクラブという関係はあまり好ましいものではない。モデルの女性にも厳しいことを要求しなければならないこともある。また相手に高いレベルを求めるためには、自分も高いレベルを持っていないと要求を言える立場になれない。「面白い作品を作るためには厳しさと覚悟が必要」という意識を共有できないと、モデルの女性や協力者に付いて来てもらえないことになる。この仲良しクラブという関係に留まりながら表現に高い意識を持ち続けることは不可能といっても過言ではないだろう。(*9)

(*9 同じカメラ小僧としても恥ずべきことだが、「厳しい姿勢で表現を追求せずとも、楽しく撮ればいい作品は作れる」という幻想を抱いている人がいる。もちろんそんな夢のような話は存在しない。面白い作品を作るためには緊張感が必要であり、緊張感を持てば制作現場がピリピリしてくるのは自然のことである。より良い表現するにあたって、緊張感の共有が制作に関わるすべての人に必要であることは、何も写真に限ったことではない。)
□フィルム時代は硬派のカメラ小僧の方が多かった→理由:金がいくらあっても足りないから
 動機となる二つの要素を紹介したが、これらは明確に二つのタイプに分類されるものではない。

・常に一匹狼、孤高の写真家
・サークル活動をしつつ硬派に留まり、作品を発表していく
・女の子のファンジン活動として写真集を作る
・作品は作らないが写真は提供し、女性のコスプレ活動やモデル活動を支援
する
・(女性との)コミュニケーションが主目的のサークル参加者

というように、カメラ小僧の中では二つの動機を併せ持ち、その割合の変化で様々な活動形態を持つという言い方が正しいかもしれない。
 だがここで、特徴的な傾向があった点を一つ押さえておこう。

フィルム時代においては、「写真家」及び「作品作り」にウェイトを置くカメラ小僧の方が多かった。

ということだ。なにしろ当時サークル活動とコミュニケーション目的の撮影を精力的にしようと思えば、写真家タイプ以上にフィルム代がかさむという現実がある。繰り返しになるが、ネガフィルムで5本分撮ったらそれで10,000〜20,000円掛かる。これの他にモデル謝礼やイベント参加費を加われば毎回30,000〜60,000円の金額となり、裕福でなければとても続けられるものではない。撮影を通して女性と親しくなれるという強い動機があるとはいえ、お金が続かなくなって写真の趣味を止めてしまうパターンも少なくなかった。(*10)
 全体の割合でいえば、この女性との親睦を名目としたカメラ小僧は少なかったのだ。これがデジタルカメラの登場する前のカメラ小僧の状況であったといえる。

(*10 もちろん90年代のフィルムは現在のデジタルと比較してお金が掛かるといっても、それ以前の時代と比べれば非常に安価になっていたとも言える。昔になればなるほどカメラと言えば貴重品であり、一般人が買える代物ではなかった。ここではあくまで90年代のカメラ小僧と現在のカメラ小僧の状況の違いとして述べておく。)
□デジカメとネットの登場でカメラ小僧に何が起こったか
 振り返って現在のカメラ小僧の状況を確認してみよう。90年代までと現在とで一番大きな変化はデジタルカメラ(以下デジカメ)とインターネット(以下ネット)の登場である。デジカメを使えばフィルムでは不可能だったことが出来るようになり、ネットによって写真をプリントすることなくやり取りすることが出来るようになった。これらの登場はカメラ小僧にどのような影響を与えただろうか。
 まずデジカメのお陰でフィルム代や現像料などのランニングコストが掛からなくなり「撮影にはお金が掛かる」という制約が消えた。その上その場で撮った写真を確認でき、失敗と判れば削除した空き容量でもう一度撮影できる。この手軽さによって「撮影時のコミュニケーションそのものを楽しむ」というスタイルが広がりだした。
 またネットの登場によって、お互いパソコンを持っていてネットに繋がっていれば、写真をプリントしなくてもパソコン上で瞬時に見ることが出来るようになったことも挙げられる。思い出として写真を飾ったり、紙のプリントとして残しておきたいという用途ならともかく、写真を通してのコミュニケーションをすることが目的なら、これで十分なインフラとなる。
 フィルム時代までの写真のあり方がこの二つで根本的に変わることとなり、前節までで解説してきた「サークル活動」のカメラ小僧がお金を掛けずに出来るようになったのである。このことで、二つの動機の割合が大きく変化することとなった。
□時代の変化は新たなカメラ小僧の層を開拓し、そして増殖させていった…
 またこの間には、フィルム時代からの既存のカメラ小僧の状況変化とは別に、新たにカメラ小僧を始める人が増えていったことも、全体の動きを捉える上では押さえておかなければならない。
 今までカメラを持っていなかった人たちがカメラ小僧になるということは、何かの大きなきっかけがあったはずである。フィルム時代は撮影そのものの楽しさを知ることが写真の趣味を始めるきっかけとなったパターンが多かった。(*11)もちろん現在でも純粋な撮影の楽しさを知って始めるパターンもあるが、それ以上に「デジカメはコミュニケーションツールとして使える」ということを知る機会が増えたことが、新規参入増加の要因として大きいのではないだろうか。
 実のところ、ここ十数年間はそれを裏付ける様々な時代の動きが重なっている。少しその背景に目を向けてみよう。

(*11 中学高校の写真部で一眼レフカメラに触れ、なんとなく街角でネコとカラスの喧嘩を撮ったらそれが教室のみんなにウケた、なんてのは写真家タイプによくあるパターンである。)
□ネットの登場と「女の子応援コミュニティ」という形態
 デジカメが普及し始めたのは2002年頃からであり、ネットの普及はそれより少し早く1997年頃である。ネットがカメラ小僧に与えた影響はどういうものだっただろうか。
 まずパソコンの登場によって、写真をJPEG形式の画像データで閲覧することが可能になったことは大きな衝撃を持って迎えられたといえる。ネットを駆使すればそれをウェブサイトなどで公開することが可能となったのだ。これらのツールの登場によって「ネット上に自分の写真を載せる女性」と「それを支援するカメラ小僧」という構図が表れた。
 現在でこそブログサービスやソーシャルネットワークサービスが広がり、自分でウェブサイトを運営することなく写真や日記を公開してコミュニケーションを取ることが出来るようになったが、当時はまだそのようなサービスは皆無といってよかった。それに当時はまだデジカメもカメラ付き携帯電話も普及しておらず、JPEGの写真を作るにはフィルム撮影→スキャナで読み取り→画像ソフトで編集というステップが必要だった。普通の人にとって「写真のあるウェブサイトの運営」はとても敷居の高いものであり、その時代に写真や日記を公開していた若い女性のウェブサイトは「ネットアイドル」という言葉(*12)が登場するくらいとても注目を集めたのである。(*13)
 写真を公開していた女性は必ずしも自分で撮影から編集までをすべて一人でをしていた訳ではない。そのウェブサイトの掲示板やそこが主催するオフ会ではその女性のファン(99%は男性)を中心としたコミュニティが形成されており、写真を撮影したり提供したりする支援活動が存在していた。女性にとってもファンにとっても、それがお互いにコミュニケーションの充足というプラスがある構図だったのだ。
 ファンの活動はイベントの参加や交流が主であり、必ずしも全員が撮影者というわけではなかったが、女性との交流や支援する目的でカメラを持ち始め、カメラ小僧を始める動きが存在していた。2000年前後は段階的にデジカメの普及する時期であり、サークル活動タイプのカメラ小僧にとっては参入し易い状況が揃っていたともいえる。
 ネットアイドルという言葉は過去の言葉となりつつあるが、次第にコスプレイヤーや撮影会モデルなど写真をネットで公開する女性が増え、それを直接支援するコミュニティの形成するパターンも増えてきている。このようなファン活動、支援活動のコミュニティは、新たなカメラ小僧を生むきっかけとなっていたといえよう。

(*12 残念ながら、時代の終焉とともにあまり良い印象を持たれていない言葉となってしまった。言葉の発祥当時はそのような意味ではなかったはずだが…。)
(*13 詳しくは単行本「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書(ばるぼら著)」を参照のこと…と思って読み返してみたら、ネットアイドルについての記述が無かった…orz)
□もうひとつのカメラ小僧生産工場──コスプレ広場
 ネットの登場と支援コミュニティとは別に、もう一つカメラ小僧を爆発的に増やした要因がある。デジカメの普及とコミケット──特にコスプレ広場である。
 コスプレ文化はマスコミの喧伝もあって90年代後半から急速に拡大し、コミケットのコスプレ広場の更衣室登録者数も1991年の200人から、1994年の6,000人、エヴァンゲリオンブームの1997年には8,000人を超え(*14)、2001年以降は12,000〜15,000人を推移している。(*15)
 コスプレがここまで広がった要因は様々あるが、その一つに1995年に創業した「コスチュームパラダイス(現コスパ)」がある。それまでのコスプレは衣装を自分で作らなければならず、そのためには被服の技術が必要で、コスプレするには難易度の高いものであった。しかしそこでコスチュームパラダイスをはじめとする完成衣装を売る企業が現れ、マーケットが成立したことで、「作る・作ってもらう文化」であったコスプレが「買って着る文化」にシフトし、興味を持つ人間にとって敷居が大幅に下がることとなった。
 そのような動きと同時期にコミケット自体も拡大する時期にあたり、1995年25万人前後だった参加者数が2004年には51万人とほぼ倍増している。(*16)コミケットがこの10年間で爆発的に拡大していった現象は一概に説明できるものではないが、パソコンの普及とそれに伴う美少女ゲームの普及、エヴァンゲリオンなどのアニメブーム(*17)、ネットの普及とイベント認知度の上昇(*18)、ファンジンだけでなくパロディなどの二次創作文化の広がりなど、様々な要因の複合的な結果といえる。そういう時代だったのだろう。
 その拡大期に5年ほど遅れてデジカメの拡大期が重なってくる。この期間にコミケットに来るようになった(カメラ小僧ではなかった)参加者にとってみれば、デジカメを持ってコスプレ広場に行けば大勢いるコスプレした女の子と

「写真撮ってもいいですか?」
「いいですよ〜」
「じゃ○○のポーズでお願いします」
「はい、わかりました」
「(撮影後)ありがとうございました、後でお渡ししたいのですがお名前と連絡先を伺ってもいいですか?」
「はい、○○といいます。こちらが名刺と連絡先(*19)です」
「わかりました、後でメールしますね。活動頑張って下さい」
「ありがとうございます」

という交流ができるという魅力を知ることになる。デジカメのない時代、フィルム撮影ではお金が掛かることから二の足を踏んでいた層が、2000年以降新たなカメラ小僧として参入するという現象が起こったのだ。
 注目したい点として、コスプレ広場をきっかけとして始めたカメラ小僧も前節のネットコミュニティの支援活動のカメラ小僧も、コミュニケーションを主体とした「サークル活動要素」を重視していたということだ。デジカメは撮影デバイスという本来の役目とは別に、「撮影を名目に会話を生む」というコミュニケーションツールとしても使われるようになり、前述の割合が変化するばかりかカメラ小僧人口そのものがどんどんと増えていったのである。

(*14 篠宮亜紀「二十分で分かる!コスプレの超常識」『別冊宝島358 私をコミケにつれてって!』宝島社, 1998年, p56)
(*15 コミックマーケット公式サイトのアフターレポートバックナンバーより。http://www.comiket.co.jp/info-a/C75/C75AfterReport.html URLの"C75"の部分を60〜75と書換えると当時のレポートが閲覧できる。C59以前の情報は残念ながらサーバー上に存在していないようだ。)
(*16 コミケットマニュアル「コミックマーケット年表」及び、コミックマーケット準備会「コスプレと更衣室」『コミックマーケット30'sファイル』、青林工藝舎、2005年、p234)
(*17 最近になって新劇場版が登場しブーム再来の感もあるが、当時のエヴァブームは一言でいえば「異様」であった。あれがきっかけでアニメオタク人口が爆発的に増え、同人誌やガレージキット、コスプレなどのオタク文化が、地方の高校生のようなところにも認知されるようになった…気がする。あくまで筆者の個人的な感覚。)
(*18 インターネットの登場前、地方在住者がコミケットの存在やその催事詳細を知るには参加経験者から教えてもらうか、「ぱふ」などのイベント情報の載る雑誌を買って読むしかなかった。カタログも普通の本屋には置いておらず、通信販売に頼るしかなかった。そもそも存在や魅力を認知する機会が少なかったといえる。)
(*19 コミックマーケットのコスプレ広場や、各種コスプレイベントに参加している多くのコスプレイヤーは、コスプレネームを持ち、写真を公開するウェブサイトと連絡用のメールアドレスを持っている。中にはレイヤーとしての名刺を渡せるよう用意していることもある。用意してない人もいるので、あって当然と思って名刺をせびってはいけない。またカメラ小僧が自己紹介用に名刺を用意しておいてもいいが、コスプレイヤーにとっては荷物になると感じる人もいるので、欲しいと言われたときだけ渡すようにしておいた方がいい。そのあたりは普通の常識の感覚と同じ。)
□写真家タイプは増減ナシ、だがサークル活動タイプは爆発的に増えている
 ここでフィルム時代から続けているカメラ小僧と、ここ10年で新たに参入したカメラ小僧の違いを確認してみよう。

フィルム時代からのカメラ小僧
・写真撮影そのものの楽しさから始めている人が多い
・硬派な写真家タイプの割合が多かった

新たな世代のカメラ小僧
・写真以外の趣味がきっかけで始めることが多い
・撮影を通したコミュニケーションを重視する割合が多い

 注意すべきなことはフィルム時代から続けているカメラ小僧も、現在では殆どがデジカメを使い始めている点だ。中にはデジカメのコストパフォーマンスに惹かれて、作品作りと平行して純粋にコミュニケーションを目的とした撮影活動も行なっていることも考えられる。
 また、デジカメから始めたカメラ小僧も、全員がコミュニケーションだけに没頭して撮影しているということはなく、作品作りを念頭において撮影し始めた人もいるだろう。
 だが、実際にはここ十数年の時代の変化において、写真家タイプのカメラ小僧の人口はそれほど変化していないようだ。理由の一つに「作品作りにおいて、デジタルは必ずしもフィルムの表現と魅力を超えるようなものではない」ということが考えられる。
 現在でこそ最新のデジカメはフィルムの画質(解像感やダイナミックレンジ)を凌駕するが、ほんの2〜3年前まではフィルムのそれに遠く及ばなかった。「お金が掛からない」「いつでもやり直しが利く」「後からの補正が手軽」というデジタルの利点も、撮影の腕を磨く上では甘えを生むこととなり、むしろ成長を阻害する要因となる。また撮影そのものを楽しむという上では、フィルムを扱うこと自体を楽しみに含める考え方もある。
 様々な要因があるだろうが、結果的に作品作りの層の絶対数はさほど変わらず、現在ではコミュニケーションを重視するサークル活動タイプのカメラ小僧が大幅に増え、相対的にその割合を逆転させることとなった。
 ここで、冒頭のナゾの一つについて答えることが出来る。カメラ小僧には写真家要素とサークル活動要素の二種類の方向性が存在する。それぞれ目的も目指すものも違う。それらを「カメラ小僧」という言葉で一括りにしようとすることで、かえってそのイメージ像があやふやなものになってしまう。カメラ小僧出身のプロのカメラマンが存在することと、コスプレ広場のカメラ小僧が同じものとイメージできないことはこれで説明が付くだろう。

■Chapter.4 カメラ小僧という人種 〜傾向と対策〜(後編)

□それでは本題に入ろうか(何
 ここまでカメラ小僧をずっと中立的な立場で解説してきたが、ここからは蔑視──つまり何故マイナスイメージが払拭されないのかについて考えてみよう。
 冒頭で述べた通り、カメラ小僧にはマナーの悪い、もっと言えば迷惑な人間がいる。彼らが様々なところで異様な存在感を醸し出すことで、「蔑視ではない通常のカメラ小僧」が透明人間になってしまっている。これらのカメラ小僧は前述の構図では位置づけることは出来ない。つまり、もう一つの別の勢力が存在するのである。
 彼らの迷惑な行動をもう一度振り返ってみると、盗撮(無断撮影)、エロポーズ強要、ネットや雑誌への無断転載、長時間の撮影による拘束、大勢での囲み撮影、大量の機材持込み、連絡先の強要などがある。これらの行動はどのような目的に基づいていると考えられるだろうか。
 まずこれらを大きく二つに分けて考えてみよう。周りとコミュニケーションをしようとする意思の有無だ。
 前者は意思疎通を通して撮影しようとする意思はあるものの、本人のコミュニケーションスキル不足によって、周りから「付き合いきれない」と判断されてしまうケースはあるだろう。異性との意思疎通の訓練不足のために自己中心的な考えとなり、自分の話ばかりしてしまったり、相手の意思を汲むことが出来ず結果的に周りから「意味がわからない」「気持ち悪い」と判断されてしまうケースだ。(*20)
 厳密に言えば迷惑を掛けようという意思はないのだが、本人が気が付いて変わろうとしない限り迷惑を掛けていることに変わりはなく、結果として一緒にされてしまうことになる。
 後者はさらに厄介で、最初からコミュニケーションをしようとする意思がない。つまり、女性の写った写真を撮ることができればそれでいい。撮影時の会話のやり取りは面倒なので出来る限り省略したい。また、可能なら自分は匿名的な立場から撮影したいという、画像コレクションが目的のタイプである。
 前者を「コミュニケーション不全タイプ」「画像コレクションタイプ」としてそれぞれの行動と思考のパターンを探ってみよう。

(*20 正直に白状すれば筆者も経験あり…orz)
□1)「コミュニケーション不全タイプ」…どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!
このタイプについて解説しようとすると、

「他者を感情の持つ存在として認識できず、相手の気持ちをイメージできない自己中心的な人間」
「大人になるまでまともに異性コミュニケーションを鍛えてこなかった男たち」

というすごく根の深い問題が浮き彫りになってくる。恐らくここでは書ききれない内容となるだろう。それにこれはカメラ小僧の問題というよりも、教育や社会科学の問題であり筆者としても専門的な話はできない。カメラ小僧の枠組みの中から概要だけ簡単に並べておこう。(*21)
 カメラ小僧として活動する以上、被写体となる女性とのコミュニケーションは必要不可欠なものだが、このタイプはカメラ小僧としてデビューするまで女性との会話のやり取りを殆どしたことがないタイプが多い。要するにそれまではずっと男性だけのコミュニティで生活してきた人たちだ。
 思春期では男女の会話や付き合いなどの経験が極端に少なく、エロ本やアダルトビデオ、ネット上のポルノサイトで性欲を満たせることを学習してしまう、あるいはエロゲーやアニメ、同人誌などの二次元コンテンツに出会い、そのまま妄想の横穴に入り込んでしまうなどして、大人になるまで現実の異性コミュニケーションの面倒臭さをパスしてしまう男性が実は非常に多い。(*22)
 今風に言えば「草食系男子」とでもいうのだろうか。だが実際は「異性コミュニケーションで悩んだり失敗したりなどを経験せずに大人になってしまった」ということは、その人の成長過程に置いて非常に痛い取りこぼしである。これはカメラ小僧に限らない。
 彼らの多くはオタクとして活動することになるが、その何割かは前述の通りコミケットに来るようになり、コスプレ広場の意味を知ってカメラ小僧になろうとする者もいるだろう。結果的に、男女間コミュニケーションの多い趣味の集まりの中でもカメラ小僧に関してはコミュニケーション不全男性の割合が高くなる。
 彼らは女性とのコミュニケーションスキルを持たない。一部は「自分には無理だ」と活動参入を諦めてしまう消極的な人もいるが、多くは「現実の女性がメディア(エロ本、アダルトビデオ、エロゲー、アニメ、etc…)の中に出てくる女性キャラと同じ存在だ」という非常に危険な感覚のまま現実に乗り出してくる。(*23)
 残念ながら現実の女性とのやり取りでは、適当なタイミングで「ピロリロリン」という効果音とともに「3つの選択肢」が目の前に登場したりはしない。適切な行動選択肢はその内容も含め自分で考えなければならないのだが、ここで「相手の女の子が考えていること、期待していること」がきちんとイメージ出来ないことには正しい行動を取ることは不可能なのである。「相手の気持ち」を見誤ると実にトンチンカンな選択肢を選んでしまい、そのまま死亡フラグが立ちバッドエンドに直行することになる。
 ただでさえ男女ではモノの考え方が違う。これは脳の構造からして異なるので仕方がない。むしろ本質的に、異性である相手のモノの考え方や感情の抱き方は永遠にワケがわかんなくて理解不能というところからコミュニケーションに臨む必要がある。「エロメディア」「二次元メディア」で培った「このように言えば、女性からはこのような返事が返ってくるはずだ」というパターン思考は通用しない。それでもその事実を知らないが故に相手から返ってくる返事が理解可能なものであると無理矢理考え、自らの思考の枠組みの中で強引に解釈してしまう。結果、女性とのコミュニケーションに齟齬が発生する。お互いの言っている意味がわからない状態となることで、女性から「気味が悪い」と思われてしまう。(*24)
 本屋で恥ずかしい思いしてエロ本を買わなくてもネットでエロ画像がたくさん手に入り、本当の恋愛(と失恋)をしなくてもアニメやゲームで疑似体験ができる以上、このタイプは今後も増えてくるかもしれない。これらを解決するためには、「10〜18歳の時期に異性間コミュニケーションで試行錯誤をせざるを得ない状況を作る」という社会を変えるという話になってしまう。
 中にはコミュニケーション訓練不足の自覚があって「既に大人になってしまった異性コミュニケーション不全者はどうすればいいんですか?」という声もありそうだけど、とりあえず一迅社の「30歳からの保健体育(三葉著)」はそこらへんの道標を表しているので読んでみるといいかもしれない。(*25)
 結論としては「こいつらどうしようもないから逃げるしかない」ということで…。

(*21 とかいいつつ、筆者は比較的楽しく(そして自虐的に)この章を書いている。)
(*22 ここで社会学者である宮台真司氏の名前を出すと「アイツかよ」という顔をされるかもしれないが、若者の(特にオタクの)性愛関連の研究は一読しておいて損はない。筑摩書房「不純異性交遊マニュアル」
あたりを読むと、なかなかイタいオタクの恋愛事情を知ることができる。)
(*23 厚顔無恥に挑戦できるその勇気は評価してもいいかもしれない。だがその勇気を思春期の恋愛で
出していれば人生少しは変わったかも?)
(*24 筆者もたまにトンチンカンな選択肢を選んでバッドエンド直行の痛い思い出がたくさんある。何
度怒らせてしまったことか。)
(*25 筆者も買いました。ちなみに続編の「30歳の保健体育〜恋のはじまり編〜」も2009年7月28日から発売されている。でも、買うだけじゃダメなんだよね…。)
□2)さらに迷惑な「ゴルゴ13」たちが繰り広げるスリル満点の盗撮ゲーム
 もう一つの困ったちゃんである「画像コレクションタイプ」はどのようなタイプであろうか。
 簡単に説明すると、目的の画像をたくさん収集することが至上命題で、そのためには手段を選ばないタイプである。そもそもそれがまわりに迷惑をかけているという発想が欠如しているようだ。「迷惑」という概念の存在を本当に知らないのかもしれない。
 集めたい画像は可愛い女性の普通の全身や上半身のポートレートだけではなく、パンチラ、胸チラ、下半身アップなどのきわどいショットなども含んでいる。ネット上で画像掲示板を探せばコスプレに限らず、様々なそのような写真が見付かると思う。(*26)コミケットのコスプレ広場に限らず、TFTをはじめとするコスプレイベント、東京モーターショー、各種展示会イベント、街角、公園でのパンチラやブラチラ写真、プールや海での水着の赤外線撮影、(*27)店内や駅のエスカレーターでのスカート逆さ撮りなど多岐に渡り、彼らの撮るその多く(というか全部)は盗撮だ。
 盗撮前提ということからも判るように、基本的に撮影そのものがバレないように撮影する。隠れて撮影する場合もあれば、名前を伏せた匿名状態で堂々と撮影する場合もある。秋葉原で一時期話題になった街頭大股開きの破廉恥パフォーマンス(*28)に群がった下半身撮影カメラマン──通称ローアングラーもその一種と考えていいだろう。身元がバレなければ堂々と股間に向けてシャッターを切り、動画を撮る。(*29)断りなしにカメラを向け、シャッターを切るや一目散に逃げていく輩もいる(*30)
 技術的な部分にも目を向けておこう。実はこのタイプには他のタイプにはない特徴が存在する。写真をやっている読者ならわかると思うが、基本的に「相手に気付かれずに撮影する」には、遠く離れた場所から望遠レンズで狙う必要がある。だが、被写体が撮影に気付かないほど離れた位置から撮影できる超望遠レンズともなると、ブレは非常に大きくなり下手な撮影では失敗ショットを量産してしまうものだ。少しでもブレをなくすために超望遠撮影の腕を上げ、明るいレンズと高感度フィルムを使い、可能なら堅牢な三脚を使う必要がある。赤外線撮影をする場合は専用フィルムと可視光線フィルターなども必要だ。デジカメの場合はデジカメそのものの改造が必要である。要するに完璧な盗撮をするには通常の撮影とは比較にならないほどお金が掛かり、撮影の技術も必要となるのだ。
 本来これらが障害となり盗撮はごく一部になりそうなものなのだが、目的が「エロ」と単純明快でありで情熱を注ぎやすいため、その障害が「乗り越えるべき壁」へと変化してしまっている。つまり、可愛い女性の写真、もしくはパンチラ胸チラの写真を1枚でも多くコレクションすることが動機だったものが、その手段のはずの盗撮という行為が、スリルのあるゲームとして目的化しているという現状がある。非常に困ったことではあるが、ある意味このタイプはカメラ小僧の中でも一番撮影技術の向上に余念がない存在といえる。下手をするとゴシップ記事を追いかける職業カメラマンと肩を並べる腕を持っているかもしれない。

(*26 2chまとめサイトなどで「コスプレした女の子の画像ください」などのスレッドを覗いていると、よく知り合いのコスプレイヤーさんやモデルさんの写真を見かけることがある。ひどい時には自分が撮影した写真が載っていることも。無断転載の横行を目の当たりにすると、やはり気分が沈むものだ。エロサイトを見ていて知り合いの顔を発見してしまったときの罪悪感といったらもう筆舌に尽くしがたい。心の中で「ごめんなさい」を100回唱えることになる。)
(*27 水着やコスプレなど、非常に薄い素材で素肌に密着した衣類だと、可視光線は遮断しても赤外線は素通りしてしまう。要するに透けてしまうのだ。大昔ソニーのハンディカムの暗視用モードで可能だったが、今の市販のカメラではできないようになっている。改造して赤外線遮断フィルターを外したい人はお好きにどうぞ。デジカメ壊れるけど。)
(*28 沢本あすか氏のことであるが、カメラ小僧の立場の筆者から見ても秋葉原でのあのパフォーマンスは異常と言う他ない。あれに群がるローアングラーも同様である。破廉恥なパフォーマンスだからというよりも、公衆の面前で行っていたということ自体秋葉原のイメージ悪化を招く迷惑行為そのものだからである。場の継続的な維持のためにも街中で行うパフォーマンスにも自重は必要であったであろう。パンチラ撮影会をしたければ、スタジオを借りて同好の士を募集するなどの方法があったはずだ。もっとも、あのパフォーマンスはそれ自体が目的なのではなくイベント告知と売名のための話題作りなのだろうが。)
(*29 良くも悪くも秋葉原という場所は匿名的だ。もともと大都市の一部なので知っている人と出会うことが少ないうえに、一眼レフデジカメを持ち歩いていても「秋葉原の風景の一部」と解釈されて目立つことはない。)
(*30 実際に筆者が友人のレイヤーさんと話してるとき、いきなり横から撮られたことがある。やはり無断撮影は気分が悪くなるものだ。レイヤーさんだって一声掛ければ撮影に応じるだろうに…。)
□盗撮天国フォーエバー…怒られるまでは怒られない→バレずにやった者勝ち?
 更に今では、前節の「コミュニケーション不全」と「画像コレクション」の両属性を併せ持つ素人のタイプが増えている。とりあえず撮影時は声を掛けるが、断られても無断で撮影していくようなカジュアルに実行してしまうタイプだ。
 中には匿名的な状況をいいことに被写体の許可なくネットにアップロードする者もいる。ネットへの無断アップロードの背景には、彼らの後ろに画像が出回ることで喜ぶ人たちもいることも忘れてはならないだろう。彼らが喜んで無断アップロード者を「神」と崇め、ネットが盛り上がることで無断アップロード者が賞賛を受け取れるという構図がある。ネットでの画像収集する人間はカメラ小僧ではないが、このタイプのカメラ小僧と目的と心理は同じである。カメラ小僧同士で戦果の写真を交換し、コレクションを共有することもあるだろう。立派な肖像権侵害であるが、物理的に簡単にできるために件数が非常に多く歯止めをかけることは難しい。アップロード者を訴えることは出来ても、一度ネットに流れたものは永久に削除することは出来ない。(*31)コスプレなどをしてカメラ小僧の被写体になる以上は、ネットに流れることを覚悟しておかなければならないのが現状だ。パンチラも胸チラも、女性側が自衛するしかない。(*32)
 またここで特筆すべきは、彼らに迷惑を掛けているという自覚も犯罪を侵しているという意識もなく、実に軽い気持ちで行動を起こしてしまっているということだ。本来あるはずの抑制心理が彼らの中で発生していない。一つは前述のコミュニケーション不全が原因だが、もう一つはカメラ小僧に参入してくる人口が劇的に増えたために、常識のない人間もその割合に応じて絶対数が増えたことが挙げられる。100人の中で宇宙人1人発生しても個別に対処すれば無視できるレベルだが、10,000〜20,000人がひしめくコスプレ広場で100〜200人もの常識を超越した宇宙人が大挙してやってきたら我々人類はなす術がない。(*33)多くなればなるほど「みんなやってる」という心理が働き、軽い気持ちで宇宙人になる者が噴き出してくることになる。全体の割合が変わらずとも、一定数を超えれば問題を無視することは出来なくなるだろう。

(*31 無断アップロードのルーツは意外と古く、86年の「写ルンです」の登場まで遡る。というか、コミケットでのコスプレ撮影文化の発端は「写ルンです」といっても過言ではない。それまでカメラを持っていないと撮影出来なかったものが、これの登場で即席で撮影を始められるようになり、以降コスプレイヤー同士で撮影するシーンが一気に増えた。そしてそれは当事者の思い出の記念に留まらず、そのまま情報媒体として投稿雑誌などに無断で掲載され流通することとなった。詳しくは岡田斗司夫編、『国際おたく大学一九九八年最前線からの研究報告』、光文社、1998年、p225〜242の中にある「第十講コスプレ史『ふるさと求めて花いちもんめ』講師 みのうら」を参照のこと。)
(*32 中にはパンチラなんか気にしない、エロ上等なんて女性レイヤーもいる。考え方は自由だが、場がどんどん荒れるからコスプレ文化を維持したかったら最低限自衛しような。)
(*33 そういえば昨今のコスプレ広場には長門有希もだいたいそのくらい存在しているなぁ。こちらの
宇宙人は是非筆者の家にも来て欲しいなぁ。)
□人が増える→自己チューが迷惑をまき散らす→全体が叩かれる→文化が衰退する
 迷惑行為の顕著化はカメラ小僧の活動文化全体の崩壊を招く要因となっているのが現状だ。コミケットや撮影イベントなど場を運営する立場が禁止を打ち出してしまえば活動する場が無くなっていくだろうし、そうはならなかったとしても迷惑行為の横行はジワジワと全体を荒廃させていく。
 カメラ小僧の「コミュニケーション不全タイプ」と「画像コレクションタイプ」の二つは、コミュニティの中で一つの勢力として無視できない割合で存在している。必ずしもこれらが大多数の割合という訳ではないが、そのマイナスイメージはカメラ小僧全体に影響があるといえよう。デジカメとネットの登場により、今まで以上に盗撮写真コレクションなどの迷惑行為が容易になっており、今後も毎年一定量そのような存在が生まれ増えていくと考えられる。
 カメラ小僧でもある筆者があまり考えたくない将来パターンとしては、これらの迷惑な存在によってイメージの悪化してしまうことに留まらず「カメラ小僧をひとまとめに排除しよう」という動きが生まれるということだ。やっかいなことにこれらの迷惑なタイプは「タダ乗りで自分だけ利益を得たい」「タダ乗り出来なければ出来ないで構わない」「だからタダ乗りすることで場が壊れても構わない」という打算的思考で行動している。
 コミケットのコスプレ広場ではコスプレイヤー自身のマナー悪化だけでなく、カメラ小僧のマナー悪化、盗撮行為などの問題が幾度となく指摘され、その度に撮影を規制すべしという意見が上がっている。現時点では禁止や登録制導入の現実的な難しさから規制は見送られているが、今後撮影の規制が行われるということも十分考えられる。恐らく規制の原因を生む彼らは規制されても困らないのであろう。これはもう構造的に防ぎようがないのかもしれない。
□今後は梅雨が長引くでしょう 河川の氾濫、土砂崩れ、宇宙人の降臨にご注意下さい
 さて、今後この流れはどうなるのか少し天気予報ばりに予想してみよう。
 デジカメとカメラ付き携帯電話の普及、それに加えてネットでの盗撮ノウハウや盗撮写真の共有が進めば、今までカメラを持たなかった人間も、盗撮や画像コレクションに魅力を感じて新たに迷惑なカメラ小僧として参入してくることも考えられる。(*34)全体が増加すればそれに比例した割合でマナー違反者、便乗して利用しようとする者、人智を超えた宇宙人が湧いて来るだろう。
 この流れはどんどん加速し、イメージは今以上に悪化していくことが予想できる。本来のカメラ小僧もまとめて迷惑な存在として一緒のレッテルを貼られ、活動の場が徐々に限られていくことになるかもしれない。コスプレ活動はそれ自体に魅力があるので成り立つ余地があるが、カメラ小僧という活動は被写体となってくれる女性の存在が不可欠であり、女性に悪いイメージを持たれれば活動は出来ない。新たにコスプレイヤーになろうとする女性がいい顔をしなくなる、撮影会のモデルになろうとする女性も減少するとなればその後の結果は明白だ。自浄作用がない以上、カメラ小僧を取り巻く環境は悪貨が良貨を駆逐していくだろう。

(*34 逆説的だけど、数年前と違い未曾有の不景気だから新たにデジカメを買ってカメラ小僧に参入しようとする若い人は少なかったりして。)
□カメラ小僧の傾向と対策
 今更だが、これはあくまで筆者個人から見たカメラ小僧という人種とそれらを取り巻く環境の現状である。事実と異なる思い込みもあるだろうし、視点が変われば違う見方もあるだろう。読者にはカメラ小僧な人も、被写体となる人も、あるいはどちらでもない人もいると思う。最後にできるだけ客観的な視点で、「全体が幸せになるには?」という提案をしてみる。
 正直なところこの迷惑増殖の構図はどうしようもない。だがひとつ原則を変えてみよう。カメラ小僧は一度メチャクチャにイメージが悪くなって活動の場を失ってもいいのではないか。
 カメラ小僧にとっての自浄作用は何か。そう考えると、一度すべての場所で撮影禁止の憂き目に遭うことでもそれが働くのではないだろうか。ネットとデジカメとコスプレ広場という状況が揃い、新規参入が容易になったことでマナーが悪化したのならば、もう一度ハードルが上がればいいのだ。たとえコスプレ広場や撮影会がなくても、女の子の写真を撮りたい想いの強い人間は自然とカメラ小僧になってしまうものだ。
 フィルム時代と比べれば撮影デバイスやコミュニケーションインフラが安価に手に入るのだから、個人撮影や個人作品展などその気になれば自分で場を作ることも不可能ではない。打算で動く便乗者も非常識な人間もふるいに掛けられていなくなるだろう。結局のところまともなカメラ小僧であればいくらでも開始のきっかけや活動の場があり、どう状況が転んでも困らないのかもしれない。というかあとはもう知らんがな(́・ω・`)

■Chapter.5 なぜ「コスプレCD-ROM写真集」は微妙なのか?(執筆者:のの)

注:まず最初に断っておきますが、この文章は、一部かなり極端に誇張している部分があります。厳しく書いているところは、論旨を際だたせるための演出と捉えていただけると助かります。人によっては、おそらく気分を害されると思われますが、ご容赦下さいますよう、お願い申し上げますと共に、あらかじめ謝罪させていただきます。
□一般市場では売れなかったはずのCD-ROM写真集が、コミケでは売り上げを上げている不思議
 近年コミケにおいて、コスプレCD-ROM写真集という分野が成立してきています。しかしマルチメディア(死語)がもてはやされた時代とは異なり、一般市場に置いてこの分野は事実上淘汰されているのが現実です。15年ほど昔にはPCショップの壁一面に並んでいたこともありましたが、今はほとんど見かけることがありません。BDやDVDでのイメージビデオではともかく、現状ではCD-ROM写真集を鑑賞しようとする人も皆無と言ってよろしいでしょう。
 ところが、コミケのその分類の場所に行くと、コスプレCD-ROM写真集が数多く売られています。コミケという表現の自由度が格段に高い場所であっても、一般市場で淘汰されてる物が売られているのはこの分野だけと言ってもいいのではないでしょうか。なぜ一般市場では淘汰されている商品がコミケでは健在しているのでしょう?本章ではこの現象について、一般市場でCD-ROM写真集が淘汰されてしまった理由を論じ、それとコミケの状況を比較検討してみることにより原因を浮かび上がらせてみたいと思います。
□写真表現において、CD-ROM写真集が持つ問題点とは
 一般市場でCD-ROM写真集が淘汰されたということは、CD-ROMというメディアでは面白い作品を作ることが出来なかったことを意味します。どうして出来なかったのか。それを理解する為には写真の面白さとは何なのか、また、そもそも写真集とはどういった表現媒体なのかを知るところから始めなければなりません。そもそも写真とはどのように鑑賞される物なのでしょうか?
 作品としての写真は、普通は額に飾って1枚で鑑賞するものです。本当に優れた写真は1枚で多くの事柄を表現していて、1枚でつまらないとは感じないものです。特別な場合として、組写真という表現手法の物を鑑賞することもあります。写真集とは、この組写真が発展した物であると考えることができるでしょう。であるとすると、本来写真集とは、1つのテーマに基づいたストーリー性(あるいは関連性)のあるものにならなければ面白みを感じない物であるということが予見されるわけです。

 そういう点から考えると、CD-ROM写真集は色々問題を内包しており、紙面での写真集より面白くなくなってしまうのです。問題点は2つあります。
 まず、写真点数が多過ぎます。組写真は「良い写真を構成を考えて展示する」という概念で表現しなければ面白くなりません。写真集でもそのように構成しなければならないわけです。ただ単に写真を詰め込んでるだけでは面白くなくなるのは当然といえます。なぜ写真が多いと面白くなくなるかは、IV(イメージビデオ)がPV(プロモーションビデオ)よりも面白いとはいえない事を考えるとわかりやすいのではないでしょうか。要点がまとまっていない物を、人は面白くは感じないのです。写真点数が多いから面白いということにはならないのです。
 2つ目の問題点として、作る側があまり真剣に見せ方を考えていないことが挙げられます。ただ写真を連続で表示したり、ブラウザで選択させての表示したりするなどの見せ方では、人を楽しませる事ができません。「この写真を、どう感じて欲しいのか?」そういった事を1枚1枚考えて表示方法を考えなければならないのです。

 以上は写真がしっかりしているということを前提とした一般論の話なのですが、こういった構成以前のところに問題がある場合もあるのです。CD-ROMだから写真を多く入れられるからという理由で、本来没になるレベルの写真も数あわせのために入れられることもあったのです。写真の構図が面白くない、光のコントロールが微妙、基礎が微妙など、そのような写真の点数が増えれば増えるほど面白みは下がっていくのです。
 でもエロ写真なら多い方が良いのではないか?と考えられなくもないのですが、そうではないことが既に証明されています。確かにメディアの発達段階においてエロは重要な役割を果たします。この分野も例外ではなく大量のアダルト向けCD-ROM写真集が販売されてきました。しかし残念ながら全て淘汰されてしまいました。実際のところ面白いエロ作品を作ろうとした場合、一般作品よりも構成力が要求されます。また、エロ表現であれば写真集よりもAV(アダルトビデオ)のように編集された動画の方が見応えがあり、どちらが魅力的かと聞かれればCD-ROM写真集は分が悪いといえます。エロであっても面白くない構成が面白くなることはないのです。
 一般作品でもエロ系の作品でも、残念ながら発表されている多くの作品を見る限り良い作品を創ろうという気概が感じられるCD-ROM写真集はごく一部です。大半のCD-ROM写真集は簡単に利益がとれればいいとしか考えられていなかったのでしょう。これでは面白い作品など生まれるはずもありません。面白い作品を創るためには、作品を創ることを主目的にすべきなのです。つまり、面白くないのは作っている人の問題であるということになるのです。
□面白いCD-ROM写真集を作るために必要な要素とは
 どうすれば、面白いCD-ROM写真集を作ることが出来るでしょうか?考えられる点はいくつかあります。
 まず根本的な事ですが、作品に関わる人は基本的な技術を取得している必要があります。少なくともカメラマンはカメラを完璧に扱えるのはもちろん、自由に構図を扱えるようにならなければいけません(光のコントロールもですが)。その上で構成を考える能力も必要です。一般的な写真集では編集担当の人が考えてくれたかもしれませんが、本来であればすべて自分で考えなければなりません。「何を表現したいのか」「その為に何をしなければならないのか」「どうすれば効果的に表現できるのか」こういった事を考えながら、「何を表現したいのか」考えた結果決まったこと、つまり目的とする主題(これをコンセプトという)に今やっている事が合致しているか確認しながら作業(これをコンセプトワークという)をしなければならないのです。このコンセプトワークは、構成を考えたり見せ方を考えるときにはもちろんのこと、作品を作る上では全てにおいて徹底しなければなりません。ですから写真を撮るときには、目的とする主題以外の要素は排除するように写真を撮らなければならならず、ポートレートの場合にはモデルのポーズや衣装もコンセプトに沿わなければならないのです。
 そしてさらに、制作に関わる人すべてが「作品」を作るのだという厳しい考えを持つことが必須条件です。それがなければ絶対に面白い作品とはなりません。そういう強い覚悟を持ってチームで作業する場合、やむを得ず人間関係がギクシャクすることもあります。そのために人間関係のマネージメントも重要となるでしょう。残念ながら仲良しクラブでは良い作品はできないのです。
 またCD-ROMでの写真集では紙媒体以上に表現上の試行錯誤をする覚悟が必要といえます。普通の紙の写真集の場合であれば、先人の蓄積により紙という限定された媒体に表現するための技法が多様に存在します。一方でCD-ROM上での表現は、それに比べると残念ながら洗練されてるとは言えません。
 さらに大きな問題があります。CD-ROMという媒体の場合「鑑賞条件が一定しない」ことについての対応を考えなければなりません。CD-ROMはディスプレイに表示させて鑑賞するわけですが、その鑑賞者各々のディスプレイには無視出来ないレベルで表示性能のバラつきがあるのです。また鑑賞用のPCそのものの性能も個々に違いがあります。表示できる画像サイズも千差万別でしょう。このようにCD-ROMは紙と比べると構成を考えるのが難しい媒体なのです。
 写真集の構成とは組写真のようなものです。全体で一つの状況を表現できるようにしなければなりません。そういった構成を考えるときには、色々参考になる物を準備して考察しなければならないのです。例として、CD-ROM写真集の場合には18禁のゲームの構成などが結構参考になります。またPVやCMなどの映像も参考となるでしょう。基本的に人間は短くまとまったものを面白く感じます。観賞するために長時間を要する作品にすべきではありません。短時間で勝負した方が面白い作品に仕上がりやすいといえます。そのためにも写真の点数はコンセプトを表現するための最小数でなければならないのです。
 …と、面白くするための方法を書いてみましたが、多くの方にとって厳しい要件となるのではないかと思います。また、CD-ROM写真集を作られる方からすると、「それはわかるけど、そんなことしてもコストに見合わないよ」とおっしゃられるのが一般的なのではないでしょうか。
 ですが本来、表現の分野はそういった厳しさがあるものです。地道な表現に対する努力と深い考察無しには面白い作品は作れないでしょう。コストありきだけではつまらない商品にしかなりません。本当に表現の探求を考えるのであれば、コストを第一に考えるべきではないのです。作品を作るにあたって本来妥協が許されるのは、現時点での作者の実力の限界点においてのみなのではないでしょうか。(注1)そして、これらのことができてこなかった為に、CD-ROM写真集は一般市場から駆逐されたのです。
□ではなぜ、コミケではCD-ROM写真集が健在なのか?
 以上、CD-ROM写真集が一般市場から駆逐された原因である面白くない理由と、それを面白くするためにはどうすればいいのかという観点で論じてきました。さてここからが本題です。ここまで書いてきた論理で考えると、コミケでCD-ROM写真集が存在できるためには売られている作品が面白くなければなりません。では本当にそのコスプレCD-ROM写真集は面白い作品なのでしょうか?

 コミケでは様々なコスプレをした売り子さんたちが「いっぱい写真が入っていますよ〜」と呼び込みをして一生懸命売っています。この「写真がいっぱい入ってますよ〜」というのはよく聞く売り文句なのですが、これは先ほどの理論から言うと「面白くないですよ〜」と言っているようなものなのです。
 そういう言葉を聞くたびに「微妙だなぁ〜」と思わざるを得ません。しかし、そういった子たちに「買ってくれませんか?」と、微笑みかけられれば、フラフラッとつい購入してしまっても、それは仕方がないことでしょう(ぉ)。そして、家に帰った後にCD-ROMを鑑賞した時にこう思うのです。「やっぱり、つまらないなぁ〜」と。(注2)

 残念ながらコミケで売られているコスプレCD-ROM写真集も、ほとんどがつまらないものだといえるでしょう。しかし一般市場とは異なり、コミケにおいてはコスプレCD-ROM写真集の市場が成立しています。となると普通ではない何らかの理由が存在していることとなります。その理由とは何なのでしょうか?
 コスプレCD-ROM写真集がつまらないという事を主張すると、「そんな楽しむために買ってるんじゃない!モデルさんを支援するために買ってるんだ!!」という意見や、「見るために買うなんて馬鹿か?コレクションするために買うんだろ?」という意見が聞こえてきます。しかもこの分野を購入する人は、なぜか写真が入っている枚数にこだわりを持つ人が多いのです。
 つまり、「面白そう」「楽しそう」「美術鑑賞として」という理由でコスプレCD-ROM写真集を買う人はほとんど居ないのです。
 そもそも、コスプレCD-ROM写真集を購入している大多数の顧客にとっては、中身なんてどうでも良いのです。毎回コミケ等で新作が出ている方が、中身よりも重要なのでしょう。コスプレCD-ROM写真集を購入する購買層の人間の多くは、特定のモデルさんの新作を次回も出してもらうために購入していくのです。作品の質が高くなって値段が上がるよりも、適当な内容で適度な値段である事が要求されていると言っても過言ではないでしょう。
 コスプレCD-ROM写真集を毎回コミケで発売し続けるためには、最低限赤字にならないだけの収益が必要です。そして発売し続けるためには、一つの作品に膨大な労力はかけられません。そのため作業の定型化を進めることとなり、「創作」というより「作業」というべき製作工程となっていきます。結果として発表される作品は内容と質が決して高いとはいえないレベルを推移し続け、向上しない事となります。
 これが同人誌であれば長続きはしません。レベルの低い物を作り続ければどんな大手であっても何時かは衰退することとなります。しかし、コスプレCD-ROM写真集の場合は元々のレベルが高くないため、手を抜いたとしても「これが普通の品質だ」とされ現状維持してしまうという状況にあります。
 現状では、現状維持を望む人向けの商品が作られており、現在それ以外の「本来の面白い写真集」を求める人々は排除されていくという事となります。この分野での購買層と購買人数は固定されていくことになっていくのです。

 つまるところ、現状でコスプレCD-ROM写真集が面白くないのは市場誘導の結果という事になり、さらに極論すると、現在購入している人々は面白いコスプレCD-ROM写真集を望んでいないということになるのです。
 とはいえこのまま既存の購買層向けの商品を作り続けた場合、購入人数は短期的には固定、長期的には減少という悩ましい状態となります。
 新しい事に挑戦して面白い作品を創ったとしても、それは今までの「商品」とは異なったもの(よって値段も上がる)であるため、既存の購買層からは陰ながら非難されることになるでしょう。残念ながら物事を改善する場合、圧倒的多数の強い反対と少数の消極的賛成しか得られないのが現実です。
 しかしながら、良い作品を創っていかなければ市場は拡大していきません。市場の拡大には新規購買層の出現は必須なのです。新規購買層を獲得するには「真っ当な面白い」作品を創らざるを得ず、その反面既存の購買層を無視することとなり、結果として売上の減少や作品に対する非難に繋がっていきます。コスプレCDROM写真集を作っている人々は、今後もこの概念の間を行ったり来たりしながら「微妙な円盤」を作り続け、この分野の微妙な状態も続くことになるのでしょう。

注1:コストは第二か第三には考えないといけません。
注2:いや、筆者が良いなぁ〜と思うのもありますよ(汗)。でも、こういったことがあったのも事実なので…(滝汗)。

■おわりに

 まずは謝罪を(汗。不快になった方ごめんなさい。趣味として楽しんでいる以上、外からイチャモンを付けられる筋合いはないですよね。でも筆者もカメラ小僧の一人として「このままだと全体的に良くないんじゃない?」という想いがずっとあり今回筆を取ってみました。撮影コミュニティに関わる人たちには少しでも意識を共有してもらえれば幸いです。もちろんその前に純粋に楽しんでもらえればそれだけで十分筆者冥利に尽きるのですが、いかがだったでしょうか?

 初めてのサークル参加でしたが実に大変でした。正直当選すると思っていなかったので、呑気に4月から再び大学に進学したり。仕事をしながら原稿の締め切りと大学の最終課題や試験の日程が重なるというギャグのようなスケジュールでした。ですがまたやりたいと考えているマゾ的思考の人間がここにいます(汗。
 コミケに参加するようになって10年以上経ちますが、思えば筆者がカメラ小僧になったのも高校時代にコミケでコスプレを撮影したのが始まりでした。その後カメラ小僧になったお陰で人の繋がりが一気に広がり、気が付けば写真関係の仕事をするようになってました。今の自分を形成するのにコミケと撮影コミュニティは大きな影響があり、何らかの形で恩返しがしたいと思っていました。今回のサークル参加で少しでも果たせたのではないかなと思っています。

 最後に、本書の制作にあたって協力して頂いた方たちに謝辞を。
 本書の読みやすくて美しい編集デザインは、なぎさわ神乃様にご協力頂きました。まだ勉強中にも関わらず快諾してくれてありがとうございました。彼がいなければ本書は「MS ゴシック」ベタ打ちの読みにくいものになっていたことでしょう。
 表紙イラストは高崎かりん様にご協力頂きました。直前で時間がなかった中、素敵なイラストを描いて頂き感謝感激です。送られてきたファイルを最初に見たときは、カメラ小僧描写のあまりの的確さに笑ってしまいました。本当にありがとうございました。またゲームや同人誌を作るときはぜひ一緒にやりましょう。
 本文中の「棒人間」はどっこいしょ様にご協力頂きました。依頼の話をしたときちょうど結婚準備の真っ最中で、結納やら新居への引越やらの忙しい時期でしたね。無理に時間を作って頂き申し訳なかったです(汗。ウチに来てイラストを描くついでに同じテーブルで婚姻届を書いていったのが強烈に印象に残ってます(大汗。ありがとうございました。そして結婚おめでとうございます。
 これを書いている時点ではまだ確定ではないですが、順調に行けば頒布当日に売り子を手伝ってくれている(はず)のyokke13様、普段コミケに来ないのに付合ってくれてありがとう。もし冬コミもサークル参加が当選したら大晦日にまた売り子が必要なんだけど、お願いしてもいいですか?(おい。
 最後に、一年近く前の企画当初から相談に乗って頂いたのの様には、原稿の査読から印刷製本の指導まで多岐に渡り大変お世話になりました。氏のご協力がなければ今回の企画は物理的にも精神的にも経済的にも破綻したものになっていました。毎週のようにファミレスで自分の甘さをバッサリ斬り捨てられ精神的に吐血しては、帰路を放心しながら運転したのもいい思い出です(本当か。心から感謝するとともに、これからも変わらぬお付き合いをよろしくお願い致します。
 本書を出すことができたのはひとえに皆様のお陰です。心より感謝致します。

 そして何より、会場内で本書を手に取って下さった全ての方々に謝意を表し、今回はここで筆を置かせて頂きます。本当にありがとうございました。

2009年8月
みちろう

■奥付

【誌名】カメラ小僧の裏話
【発行年月日】2009年8月16日 コミックマーケット76 初版
       2009年12月31日 コミックマーケット77 第二版
       2010年8月15日 コミックマーケット78 第三版
【構成・執筆】みちろう,のの
【DTP編集】なぎさわ神乃
【イラスト】高崎かりん(表紙),どっこいしょ(本文)
【発行サークル】みちみち
【発行責任者】みちろう
【ウェブサイト】http://miti2.jp
【連絡先】circle@miti2.jp

※本書内容の無断転載は固くお断りします。
Copyright(C)2008-2024 miti2.jp. All Rights Reserved.